震災時、病気を見舞うこともしなかった私を伯母は心配してくれた
『東京に“避難”できた』という言葉を使った梢さん。それほどに伯母との仲は破たんしていたものの、母親との関係はそこまでこじれてはいなかったそう。しかし、伯母の病気をきっかけに母親との仲もギクシャクしていきます。
「私が上京して6年ぐらい経った時、伯母が前から患っていた糖尿病の影響でちゃんと歩けなくなったんです。完全な車椅子ではなかったものの、介助が必要な状況になりました。そのことは母親からの電話で知ったんですが、母親は私に伯母の様子を見に来てほしいと言ってきたので、それを私は瞬時に、『関係ない』と拒否したんです。その時に母親が『あんなに可愛がってもらったのに』と私のことを大人になってから初めて怒りました。そこで私も感情的になってしまって、『親族付き合いは親の代で終わり。私の代になったら、従姉妹とも一切付き合うつもりはない』と言ってしまいました。その後は言い合いになりましたが、興奮して内容はあまり覚えていません。でも、そこから母親からの連絡は事務的なものになり、伯母の話は一切なくなりました」
修復不可能と思われた親族関係の修復ができたきっかけは東日本大震災。関西の時に次いで2度目の被災となった梢さんの心を救ってくれたのは、伯母の過剰な愛情でした。
「その日は夜まで電話も一切通じない状況で、しかも阪神大震災を体験した気持ちが蘇ってしまって、とても心細かった。その時に一番温かったのが伯母の過剰な心配でした。『知らない』と突っぱねた私の無事を伯母は泣きながら喜んでくれました。そしてその後も、色んなものを送ってくれたり、いらないといっても何かに必要だからとお金を送ってくれたこともありましたね」
震災から8年。現在の仲はどうなのか聞いたところ、「今は小言を言われても受け流す術を覚えました。言いたい放題の人に100%でぶつかったらだめなんですよね。大人になるっていうことはこういうことかなと。もうすぐ自分の子も生まれるので、親の立場をもっと理解できるようになるんじゃないかな」と吹っ切れたような笑顔で語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。