「アルバイトなど考える必要はない」。お金の心配をした私を叱り、二度と口にすることはなかった
1年間の寮生活の場所は山梨県。慣れない寮生活を乗り越えられたのは両親のおかげだと沙織さんは語ります。
「寮は山梨の山奥にあって、4人で1部屋。いきなりそんな空間だったので、しんどかったです。当時は携帯を持っている子がチラホラいるぐらいで私もまだだったので、母親から寮に電話をもらっていました。寮に電話が来ると放送で呼び出されるんです。その呼び出しが他の子に比べて多くて少し恥ずかしかったけど、純粋に嬉しかったし、声を聞くと元気になれました。
それに寮は週末には外泊してもよかったので、月に1回のペースで実家に帰っていました。行きは学校から主要駅までバスが出るんですが、帰りはいつも父親が車で横浜から山梨まで送ってくれて。いつからか道中にあるお店で一緒に晩御飯を食べるのが決まりになっていて、そこで父親と2人で学校であったことなどの話をするようになったので、高校時代よりはるかに距離は近くなっていましたね」
1年間の寮生活後は実家に戻り、そこから学校生活は5年、さらには研修医で2年、その後大学病院に残ったことで満足なお金を稼げるようになるまで10年近くかかったと言います。
「大学時代はもちろんお金がかかるばかりで、研修医になったとしても月に10数万ぐらいしか稼げません。さらには歯科医になった後も、学校に残って勉強しているというかたちになるので学校にお金を収める時期もありました。
一度大学時代にせめて少しでも学費の足しになればとアルバイトを始めると両親に言ったことがあるんです。そしたら、『学生の本分は勉強。アルバイトすることで勉強が疎かになり、留年なんてされるともう1年学費がかかってしまう。ちゃんと卒業することが一番の親孝行なので、働くなど考える必要はない』と言われました。私は最後までアルバイトをすることはなかったし、大学を出てからもしばらくはやっていけなかったので家賃を援助してもらっていました」
現在稼げるようになったことで当時の学費を返そうと考えたそうですが、両親から頑なに拒否があり、受け取ってもらえていないとのこと。「両親は『自分たちの娘が医者になったことが一番の親孝行』と今も言ってくれていて、恩返しは一切受け取ってもらえていません。父親はもうすぐ定年。恩返しというかたちではなく、お疲れ様といった感じで旅行をプレゼントできないかなと今は考えています」と沙織さんは語ります。
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。