◎No.32:火野葦平の石像(撮影/高橋昌嗣)
文/矢島裕紀彦
河童の民話が伝わる土地に生まれ育ち、幼いころ父親から寝物語に河童の話をよく聞かされた。そのためか、長じても無類の河童好き。自らの家を「河伯洞」と名づけ、毎年7月の火祭りの夜、裏山の河童地蔵堂の前で自作の「河童祭文」を読み上げるのを習わしとした。河童を題材に43編の小説と12編の詩を書き、交遊のあった文人や画家たちに河童の絵を描いてもらったりもした。
中国出征中に『糞尿譚』で芥川賞を受賞、『麦と兵隊』でベストセラー作家となった火野葦平とは、すぐには結びつかない嗜好。だが、本人には河童は不可欠の存在。こんな一文も残る。
「河童は、話と小説との間を彷徨した私が、ほっとためいきをついたような場所であり、(略)私の精神を不安にしている或る憂愁をにじみ出させたいと願っての無我夢中の耽溺であったかも知れない」
北九州市若松区の火野葦平資料館のそちこちにも、河童たちは身を潜めていた。中でも、葦平が河伯洞の庭に置いていた河童の石像に魅かれた。高さ39センチ。「河童の里」とも称される田主丸の石工の作。まんまるく見開いた目と一文字に結んだ大きな口、踊るような手足の仕種で、前に立つ者の心をふっと和ませる。
葦平が朝夕語りかけるようにして愛でていたという逸話も頷ける、愛敬に満ちた河童像であった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。
写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。
※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。