新着記事

メリノンの半纏|裏地に羊毛をふんだんに使い暖かさを逃さない 奇跡の階段 「なぜ立っているのかわからない」世界中の建築家が首をかしげるサンタフェ「奇跡の階段」 中之町出土資料 京都市蔵 日本陶磁史のターニングポイント、桃山時代のやきものをめぐる展覧会【特別展 新・桃山の茶陶】 西郷隆盛と3人の妻たち 西郷隆盛と3人の妻たち【にっぽん歴史夜話10】 「アゴ難民」増加中|顎関節症を引き起こす原因 アゴの疲れを取る方法|3つの原因が顎関節症を引き起こす 男の牛革ベルトポーチ|小さな革鞄で街歩きを軽やかに楽しむべし 幕府の近代化に心血を注いだ小栗忠順|軍港・横須賀に残る「鉄とレンガの近代」の曙光【半島をゆく 歴史解説編 三浦半島3】 娘のきもち・その2 【娘のきもち】口に出すと泣いてしまう。父の思い出を話せるようになるまで、3年が必要だった~その2~ 娘のきもち・その1 【娘のきもち】24歳のときにガンで亡くなった父。思い出すのは幼少期の厳格な姿だった~その1~ 山口蓬春《新宮殿杉戸楓4分の1下絵》 山﨑種二と皇室ゆかりの美術【特別展 皇室ゆかりの美術 ―宮殿を彩った日本画家―】

サライ本誌最新号

ピックアップ記事

>>過去の記事へ

サライの通販

>>過去の記事へ

全国の美味がお取り寄せいただけます

趣味・教養

音楽好きの宮澤賢治が奏でたチェロ【文士の逸品No.36】

◎No.36:宮澤賢治のチェロ(撮影/高橋昌嗣)

宮澤賢治のチェロ(撮影/高橋昌嗣)

文/矢島裕紀彦

それは、ガラスケースの中に封印されていた。岩手県花巻市にある宮澤賢治記念館の一角。かつて宮澤賢治が奏でたチェロである。

かけそば一杯6銭という時代に、170 円もの大枚をはたいた鈴木バイオリン製。花巻屈指の資産家の家に生まれたからこそできる、豪気な買い物であった。賢治はこれを抱えて大正15年(1926)暮れに上京、新交響楽団所属の大津三郎なる人物のもとで3日間の早朝特訓を受けた。

このころの賢治。勤めていた花巻農学校を辞し、「雨ニモマケズ」の詩世界そのままの理想と情熱を胸に羅須地人協会を設立。農業技術の改良に取り組みながら、音楽や文芸などの芸術的楽しみを農民たちの生活の中に根づかせようと試みていた。

その後チェロの腕前がさほどに向上した形跡はないが、賢治の音楽好きは筋金入り。農学校教師時代は、新譜のクラシックの洋楽レコードを近くの楽器店で片っ端から購入。陸奥(みちのく)の小さな田舎町で余りに多くのレコードが売れるため、某レコード会社がその店に表彰状を贈ったという逸話も伝わる。

童話『銀河鉄道の夜』にも象徴される如く、賢治の想像力はしばしば宇宙にまで広がった。夕暮れの記念館。見学者の潮が退き照明が落ちるころ、沈黙のチェロを包み込むガラスケースにも、束の間、向かい側にパネル展示される星座群が映し出され、夢幻の小宇宙が誕生した。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。

写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。

※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

関連記事

  1. 森茉莉が可愛がっていた犬のぬいぐるみ【文士の逸品No.39】
  2. 中勘助が幼少期に使っていた銀の匙【文士の逸品No.38】
  3. 林芙美子が出版記念品として配った灰皿【文士の逸品No.37】
  4. 文士・尾崎士郎が履いていた奇妙な下駄【文士の逸品No.35】
  5. 『風立ちぬ』作者・堀辰雄の心を癒した蓄音機【文士の逸品No.35…
PAGE TOP