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文士・尾崎士郎が履いていた奇妙な下駄【文士の逸品No.35】

◎No.35:尾崎士郎の下駄(撮影/高橋昌嗣)

尾崎士郎の下駄(撮影/高橋昌嗣)

文/矢島裕紀彦

東京・大田区山王の尾崎家を訪れると、部屋の片隅に奇妙な下駄が無造作に転がっていた。歯の高低差、約5センチ。前の歯ばかりが極端に高い。

穿(うが)ちて立つと、足の筋が突っ張って5歩と歩めぬ。尾崎士郎はこの下駄を履き、下半身を錬磨していた。昭和30年代初め。還暦を間近に控え、合気道の道場にも出入りしていた頃の話である(後年、名誉初段を取得)

大の相撲好き。横綱審議委員を務めたことでも知られるが、馬込に文士仲間と集っていた若き日には、山本周五郎、今井達夫らを率いて大森相撲協会を組織。自らマワシを締めて本気で相撲に明け暮れた。しこ名は「夕凪(ゆうなぎ)」。「何にしてくれたら一番嬉しいって、文句なく横綱だ」と、少年のように目を輝かせて言う。太りたいがために、本来は糖尿病患者が使うインシュリン注射まで打った。尾崎家の庭の一隅にすっくと聳える欅(けやき)の巨木は、士郎の“鉄砲稽古”の相手にもなった。

無論、もの書きとしての強烈な自負と気概にもあふれていた。「文士はかすみを食って生きるべし」が口癖。代表作『人生劇場』の作中を駆け抜ける人間たちにも、そんな士郎の熱い精神が吹き込まれている。

「強くなりたいという子どもっぽい憧れ。それ以上に、尽きることない“青春への渇望”があったんでしょうね」

子息の俵士氏が、件の下駄を前にしてぽつりと呟いた。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。

写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。

※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。

 

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