■西郷は生きている
西郷がなぜ西南戦争に踏み切ったのかは謎が多い。寡黙な巨人は寡黙なまま戦い、その生涯を閉じた。西郷を敬慕する人びとは、その死を悼み、西郷はどこかで生きているのではないかと信じる人も多かった。
噂が重大な事件を引き起こしたのが、明治24年(1891)の大津事件である。来日中のロシア皇太子ニコライが滋賀県巡査・津田三郎に斬りかかられ、負傷した事件である。
このころ、「西郷がロシアで生きており、ニコライとともに来日する。それにともなって西南戦争で受章した勲章が剥奪される」という噂が流れていた。津田は西南戦争に従軍し、勲7等の勲章を受けていた。それを剥奪されるのではという焦燥と怒りがニコライに向けられたのだという。
こうして死後もたびたび人の噂にのぼった西郷が、名誉回復して正三位に叙されたのは、明治22年(1889)、大日本憲法発布のときである。これを機に西郷の顕彰活動が盛んになり、上野や鹿児島に西郷の銅像が建てられた。
西郷の豪放で温かな人柄は「西郷(せご)どん」という呼称とともに、いまも鹿児島の人びとに愛されている。
文/内田和浩
1962年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターとして独立。日本史や仏教美術関連を中心に執筆。著書に『坂東三十三カ所めぐり』『ふるさとの仏像を見る』など。
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