■ハスキーの多様性
ヘレン・メリルといえば、まずはハスキー・ヴォイスの魅力ですね。「ニューヨークのため息」という、なかなか含蓄のあるキャッチ・フレーズが彼女に与えられましたが、これはハスキー・ヴォイス、つまり掠れ声がもたらす「特殊効果」のひとつでしょう。
美声はそれだけで魅力的ですが、あえて言うと「含み」がないのですね。はじめに、若干低俗なたとえとお断りしておきますが、私を含め男性陣は、女性の美声に好感はもっても「それだけ」のケースがままあるのです。他方、掠れ声で囁きかけられると、「ちょっと、そのシュガーポット取ってくださらない」といったきわめて日常的な会話の中に、「もしかしたら彼女、僕に気があるんじゃ……」と、ほとんど無根拠な妄想をもたらす「魔法の力」を聞き取ってしまうのですね。
さて、そのハスキー・ヴォイスですが、女性ジャズ・ヴォーカリストの場合、ほとんどが白人歌手に限られているのは面白いことです。とりわけ「ケントン・ガールズ」と並び称されたスタン・ケントン楽団のバンド・シンガーたち、アニタ・オデイ、ジューン・クリスティ、そして第39号「ビッグ・バンド・ジャズ・ヴォーカル」に登場したクリス・コナーといったヴォーカリストたちは、判で押したようにみなハスキー・ヴォイスなのです。そしてジュリー・ロンドンもまた、「スモーキー・ヴォイス」と称されたハスキー・ヴォイスが魅力でした。
しかしです、ヘレン・メリルのハスキー効果は、こうしたそれぞれ個性的な白人女性ヴォーカリストたちの持ち味とは決定的に違うのですね。まずもってジュリーの場合は、その「視覚効果」において圧倒的なアドヴァンテージを稼いでいるので、スモーキー・ヴォイスの「魔法効果」に頼らずともその蠱惑目的は充分に果たせるのですね。そしてその「美貌」もまた、じつは彼女のほんとうの魅力をわかりにくくさせている面が少なからずあるのです。
またクリスの場合はけっこうドライで、「中性的」なのです。これは彼女の「趣味」と関係があるのかもしれませんが、ともあれメリルの持ち味とはちょっと異質。そしてクリスティはというとクール・健康・潑剌で、これも違いますよね。最後に残ったアニタにしても、彼女の若干はっすぱを気取った姐御肌キャラは、しっとりと心に染み入るメリルの歌唱イメージとは対極的。
しかしながら、最後のアニタのハスキーもメリルのハスキーも、ともにカリスマ黒人ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイの影響を受けているのは興味深いことです。じつをいうと、こうした矛盾したようにも思える「影響関係」は、ジャズの場合珍しくはないのです。たとえば、クラシックの世界でも高い評価を得たウルトラ・テクニシャンのジャズ・ピアニスト、アート・テイタムの影響は、まったくタイプが異なるふたりの大物ピアニスト、バド・パウエルとオスカー・ピーターソンの双方に受け継がれているのですね。
その理由は、テイタムのようなジャズ史に残る巨人は非常に多面的なな能力をもっているので、彼のそれぞれの部分がパウエルとピーターソンに受け継がれ強調されると、まったく別物のように聴こえるのですね。同じことがホリデイにも言えて、彼女の圧倒的なカリスマ・パワーの中身の、どの部分に着目するかでアニタとメリルの違いが浮かび上がってくるのです。アニタの場合は、黒人女性特有のジャジーな声質に対する憧れがアニタ流ハスキー・ヴォイスとなって表れており、他方メリルは、ホリデイの歌がもつ深い情感を写し取ろうとして、「結果として」ハスキーになったような風情があるのですね。
ホリデイとメリルの共通点はまだあります。それは晩年のホリデイに顕著な、感情がそのまま歌となったような壮絶な歌唱です。大方のジャズ・ヴォーカリストは、当然ですがテクニックを経由したうえでの感情表現なのです。つまり歌唱技術で失恋だとか別離といった、必ずしも歌う当人の現実ではない状況を表現しているのですね。しかしホリデイやメリルの歌唱には、あたかも本人の現在の心境をそのまま歌っているかのような切迫感が感じ取れるのです。これが凄い。