■声の温度と湿度
さて、ハスキー・ヴォイスを発端として、リアルな感情表現ということでカリスマ・ヴォーカリスト、ビリー・ホリデイの存在が浮かび上がってきましたが、ここで短絡的にメリルを白人版ホリデイと捉えてしまうのは、いささか早計なのです。
ここでいよいよメリルならではの持ち味、すなわち「日本人好み」が登場するのです。それは「湿度感」です。ホリデイの歌唱を注意深く聴けば、きわめて深い情感を湛えた絶唱でも、その表情は思いのほかクールでドライなのですね。というかそこがホリデイの凄みなのですが、メリルの歌唱には誰が聴いてもわかるウェットな情感が込められているのです。
ところで歌における「日本人好み」といえば当然「歌謡曲」であり「演歌」でしょう。これらは日本人ならではの人生観をもとにした感情表現が特徴で、その最大公約数として、高温多湿な日本ならではの「湿度感」が聴きどころとなっているのですね。
しかしながらアメリカのジャズ・ヴォーカリストには、哀愁を込めた情感表現はあっても、そこにウェットな湿度感を感じさせる歌い手はあまりいないのです。一見似ていると思われがちなホリデイも違えば、ケントン・ガールズ、ジュリーといった白人組にも、さほど顕著な湿度感を感じさせる歌い手はいません。
いよいよ結論です。ヘレン・メリルならではの持ち味は、心情がそのまま歌声となったようなウェットな情感を湛えた歌唱がもつ、リアルな感触なのです。そしてこうした持ち味のジャズ・ヴォーカリストは、じつはアメリカにはあまりいないという興味深い事実が浮かび上がってくるのです。
おそらくは新興多民族国家であるアメリカでは、万事が即物的というかドライで、ウェットな情感表現は理解されにくいのかもしれませんね。ソニー・クラークの才能がアメリカでは今ひとつ目立ちにくかったことと同じことが、メリルにも言えたのです。