大河初登場の「寛和の変」
I:さて、「寛和の変」が大河ドラマで描かれるのは初めてです。明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」などは十数回大河ドラマで取り上げられています。本能寺の変についてその真偽はともかく詳細に記されているのが『信長公記』。本能寺の変を初めてドラマで取り上げるとなると、『信長公記』をなぞるだけでも臨場感あふれる場面を演出できるかと思います。
A:はい。しかし、戦国ものが多い大河ドラマでは、本能寺の変も何度も描かれ、毎回同じというわけにはいかないので、帰蝶(濃姫)がともに戦ったり、祈とう師とともに本能寺で最期を遂げたり、銃を手に応戦したり、あるいは信長が自ら頸動脈を切ったりと、さまざまな演出が加えられるようになります。寛和の変も複数回取り上げられる事件になると、さまざまな演出が加えられると思うのですが、今回は「初」ということで、大筋「史実」に沿って展開されました。
I: 父兼家を囲んで、道隆(演・井浦新)、道兼、道長(演・柄本佑)という時姫(演・三石琴乃)所生の三兄弟に加え、寧子(演・財前直見)所生の道綱(演・上地雄輔)も参画していました。
A:道綱は、年齢的には道隆と道兼の間ということで、兼家の次男になります。兼家が寧子を訪ねた際に舞を舞うなど視聴者への顔見せを済ませていたのも、兼家一族一世一代の大博打の場面のための下ごしらえだったと思うと、「さすが大石静さんは手練れだ」とうならされます。
I:兼家が「このことが頓挫すれば、我が一族は滅びる。兄弟力をあわせて、必ずなしとげよ」と号令を発していました。
A:兼家の気迫に、緊張感が高まりましたね。
I:今週うるうるしたのは、劇中、花山天皇が、藤原忯子と交わした文の入った文箱を忘れたことに気がつき、戻ろうとした場面です。
A:この場面は、『大鏡』に「前年亡くなられた弘徽殿の女御(こきでんのにょうご=藤原忯子のこと)のお手紙で、平素お破り捨てになられず、御身から離さずにご覧になっていたお手紙のことを思い出しになり、〈しばらく待て〉とおっしゃって、それをとりにお入りに……(以下略)」と記される感涙場面です。原典では「弘徽殿の女御の御文の、日頃破り残して御身も放たず御覧けるを思し召し出でて、〈しばし〉とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし……(以下略)」となります。
I:花山天皇はこのときまだ19歳。藤原忯子への深遠なる追慕の情を利用して、退位を強要した事実を考えると、兼家一族の悪辣さが骨の髄まで響いてきますね。
A:花山天皇に心を寄せれば、当然そのような思いに駆られるでしょう。劇中では、女官らと酒席で大騒ぎしていた藤原義懐(演・高橋光臣)ですが、『栄花物語』には「〈わが宝の君はいづくにあからめさせたまへるぞや〉と伏しまろび泣きたまふ(〈わが宝である主君はどこにお姿を隠しておしまいか〉と言って伏しまろびお泣きになる)」と内裏から消えた帝を泣きながら探していたと書かれています。
I:寛和の変に触れた『大鏡』や『栄花物語』を見て、劇中の演出と比べて楽しめるのも「ドラマ初登場」ならではですね。『栄花物語』には、出家前の花山天皇が「妻子、珍宝及び王位、命終の時に臨んで随う者なし(妻子も、お宝も、王位も命を終える際には、いずれもついてこないの意)」が口癖だったと記されていたり、安倍晴明の屋敷前を牛車が通った際の描写などが描かれたりしていますので、ぜひ比べてほしいですね。
A:個人的に印象に残っているのは、帝の行方を探しに探してようやく元慶寺にたどり着いた義懐らが目にした光景を描いた場面です。帝は目もつぶらかな小法師の姿で控えていたそうです。『栄花物語』の原文が胸に響きます。「そこに目もつづらかなる小法師にてついゐさせたまへるものか。あな悲しやいみじやとそこに伏しまろびて、中納言も法師になりたまひぬ。惟成の弁もなりたまひぬ」とあります。
I:藤原義懐も惟成も出家して、政界引退ということですね。このくだりを読むと、劇中でまひろが奏でた琵琶の旋律がリフレインしてくるんですよね。
【道長とまひろの恋の行方。次ページに続きます】