道長とまひろの恋の行方
I:第6回で恋の歌をまひろに渡した道長ですが、まひろからの返事がないままに数週間の時が過ぎました。今週は、兼家一族の陰謀回ですが、道長の恋路が爆発します。
A:従者に託して和歌を届けました。「思ふには忍ぶることぞ負けにける 色には出でじと 思ひしものを」――。道長の声で「そなたを恋しいと思う気持ちを隠そうとしたが、俺にはできない」という大意が示されました。『古今和歌集』の詠み人知らずの和歌ですね。まひろの「古今集。なんで?」という声が印象的です。
I:それに対するまひろの返事がなぜか漢詩。「既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲(既に自ら心を以て形の役と為す奚ぞ、惆悵として独り悲しまん)」。まひろの声で「これまで心を体のしもべとしているのだから、ひとりくよくよ嘆き悲しむことがあろうか」と説明されました。
A:次いで、道長から再び古今和歌集の作が送られます。「死ぬる命生きもやするとこころみに 玉の緒ばかり逢はむといはなむ」。「そなたが恋しくて死にそうな俺の命。そなたが少しでも逢おうと言ってくれるなら生き返るかもしれない」と説明されました。
I:まひろの返事は再び漢詩でした。「悟已徃之不諫 知來者之可追(已徃の諫ざるを悟り、來者の追う可きを知る)」。こちらは「過ぎ去ったことは悔やんでも仕方がないけれど、これから先のことはいかようにもなる」と説明されました。そして、道長の3首目の和歌です。これも『古今和歌集』から。「命やは何ぞは露のあだものを 逢ふにしかへば惜しからなくに」。こちらは「命とははかない露のようなものだ。そなたに会うことができるなら命なんて少しも惜しくはない」と説明されました。そして、まひろの返事が三度(みたび)漢詩。「実迷途其未遠 覚今是而昨非(実に途に迷うこと其れ未だ遠からず、今の是にして昨の非なるを覚る)」です。まひろの声で「道を踏み迷っていたとしても、それほど遠くまで来てはいない。今のが正しくて、昨日までの自分が間違っていたことにようやく気づいたか」と説明されました。
A:まひろに対する強い恋慕の情を『古今和歌集』の恋の歌に託した道長。一方のまひろは陶淵明の「帰りなんいざ」で有名な『帰去来の辞』の引用で返します。道長がぽかんとした感じもしないでもなかったのですが。
I:漢詩で返してくることについて、行成(演・渡辺大知)に助けを求めていましたね。丁寧にお互いの意志を確認しあう。1000年前のことではありますが、 現代よりも進んでいるような感じもします。これが歴史の面白いところですね。
【第10回で結ばれたまひろと道長。次ページに続きます】