はじめに-田沼意知とはどんな人物だったのか?

田沼意知(たぬま・おきとも)は、田沼意次(おきつぐ)の子です。田沼意次を知っていても、田沼意知のことはあまり知らない人も多いのではないでしょうか。あるいは、江戸城中で斬殺されたことをご存知の方もいるかもしれません。

では、実際の田沼意知とは、どのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、田沼意次の有能な後継者として描かれます。

目次
はじめにー田沼意知とはどんな人物だったのか?
田沼意知の生きた時代
田沼意知の足跡と主な出来事
まとめ

田沼意知の生きた時代

田沼意知が生まれた寛延2年(1749)は、9代将軍・徳川家重(いえしげ)治世の時代です。家重は言語障害がありましたが、側用人の大岡忠光(ただみつ)のみが聞き分けることができ、補佐をしていたと言います。家重自身は政務に無関心でしたが、表面的には安定した時代でした。

その後、時代は大きなうねりを見せることになります。そんな時代に、意知は生まれました。

田沼意知の足跡と主な出来事

田沼意知の生年は寛延2年(1749)、没年は天明4年(1784)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

田沼意次の長男として誕生

寛延2年(1749)、意知は田沼意次と黒沢定紀の娘の子として、誕生します(※長男という説と次男という説あり)。幼名は、竜助でした。

明和元年(1764)1月には、10代将軍・徳川家治に仕え始めます。

田沼意次(牧之原市史料館所蔵)

若年寄となり、権勢を誇る

その後、父・意次の全盛期である天明元年(1781)に奏者番(そうしゃばん、江戸幕府の職名の一つ)となります。その2年後には若年寄となり、父子揃って幕閣の中枢を担い、江戸城中で、権勢をふるっていたと言います。

江戸城中で斬られる

天明4年(1784)3月24日、江戸城から他の若年寄らと退出しようとしていたところ、新番士の佐野善左衛門政言(まさこと)に突然斬りつけられるという事件が起こります。その時に負った深手の傷がもととなり、4月2日命を落とします。36歳の若さでした。

刃傷事件の原因は…? 次ページに続きます

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