はじめに-田沼意次とはどんな人物だったのか?
田沼意次(おきつぐ)は、江戸時代中期の幕府老中です。8代将軍・徳川吉宗の宗家継統に随従した新参の旗本・田沼意行(おきゆき)の子として生まれます。意次自身も徳川家に仕えるようになり、家重(いえしげ)・家治(いえはる)の2世代に渡って幕政を支えました。
10代将軍・徳川家治の治世で大出世を果たし、「田沼時代」と呼ばれる一時代を築き上げました。田沼意次と言えば、賄賂政治家というイメージが強いですが、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、敏腕政治家として絶大な支持を集めるも、様々な陰謀に巻き込まれた人物(演:松下奈緒)として描かれます。
目次
はじめに―田沼意次とはどんな人物だったのか?
田沼意次が生きた時代
田沼意次の足跡と主な出来事
まとめ
田沼意次が生きた時代
田沼意次は、享保4年(1719)に生まれます。意次の父・田沼意行は、後に将軍となる吉宗が青年だった頃から側近として仕えており、吉宗の徳川宗家継統に際して、幕臣に抜擢された人物です。その後、意行の子ということもあってか、吉宗は意次を自身の嫡男・家重の小姓に抜擢します。
父と同じく徳川家に仕えることとなった意次は、飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進していったのです。
田沼意次の足跡と主な出来事
田沼意次は、享保4年(1719)に生まれ、天明8年(1788)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
9代将軍・徳川家重に仕える
田沼意次は、享保4年(1719)、江戸城内の田安御用屋敷で生まれました。父・意行は吉宗に仕える幕臣で、意次自身も15歳の時に、吉宗に抜擢されて世子・家重の小姓を務めることになります。享保20年(1735)、父が亡くなったことで家督を継いだ意次。その2年後の元文2年(1737)、19歳にして主殿頭(とのものかみ、宮内省所属の官司長官)に叙されることに。
さらに、家重が9代将軍に就任した後は、その能力を認められ、飛ぶ鳥を落とす勢いで昇進していきます。家重から御用取次(将軍の近侍職)に任命されると、1万石の土地を加増され、大名に列しました。若くして目覚ましい出世を遂げた意次は、幕臣随一のやり手として注目されるようになったそうです。
10代将軍・徳川家治のもとで大出世を果たす
家重の死後、嫡男の家治が10代将軍に就任しました。父・家重が「意次は正直者であるから、大切にしなさい」といった旨の遺言を残していたこともあり、家治は意次を厚遇します。そして、明和4年(1767)、家治の側用人(将軍の側で庶務に携わった者)に昇進した意次は、遠江国(現在の静岡県)相良城主となったのです。
さらに、安永元年(1772)には、老中に就任。その間、たびたび加増され、意次は5万7千石を有する有力大名となりました。幕臣としての意次の高い能力は、家治にも大変重宝されていたことが分かります。
【華々しい「田沼時代」到来。次ページに続きます】