はじめに-田沼意次とはどんな人物だったのか?

田沼意次(たぬま・おきつぐ)は、江戸時代中期の幕臣であり、老中として幕政に深く関与しました。享保4年(1719)に生まれ、幕府の財政改革や経済政策を主導したことで知られる一方、「賄賂政治」の代名詞としても語られる人物です。

田沼の政治は、商品経済や貿易の発展を志向し、革新的な政策を打ち出したものの、天明の飢饉や失政により失脚に至りました。田沼意次の生涯と功績は、江戸時代の経済史と政治史を語る上で欠かせない存在だといえるでしょう。

では、実際の田沼意次とは、どのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(以下、『べらぼう』)では、新しい日本を作るべく、先進的な経済政策に取り組む人物(演:渡辺謙)として描かれます。

田沼意次

目次
はじめに―田沼意次とはどんな人物だったのか?
田沼意次が生きた時代
田沼意次の足跡と主な出来事
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、田沼意次
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で描かれる、田沼意次
まとめ〜田沼意次の評価とその遺産

田沼意次が生きた時代

田沼意次が活躍したのは、江戸時代中期にあたる18世紀半ばから後半にかけてです。この時代は、江戸幕府が抱える財政難や地方農村の疲弊が顕著化しつつあり、幕府の統治機構そのものが変革を迫られる時期でした。

意次が政治の実権を握った「田沼時代」と呼ばれる期間は、宝暦8年(1758)から天明6年(1786)に失脚するまで続きました。

当時の江戸社会は、商業経済が発展し、株仲間の組織化や貨幣経済の浸透が進む一方、天候不順や天明の飢饉(1782〜1787年)といった自然災害に見舞われ、農村経済の基盤が揺らいでいました。意次は、このような時代背景の中で、経済を立て直すべく積極的な政策を推進しましたが、その結果、保守的な勢力との対立が激化することになります。

田沼意次の足跡と主な出来事

田沼意次は、享保4年(1719)に生まれ、天明8年(1788)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

幼少期から大名への道

田沼意次は、享保4年(1719)に遠江国相良(とおとうみのくにさがら、現在の静岡県牧之原市)で、紀州徳川家の足軽であった父・田沼意行(おきゆき、もしくは、もとゆき)の嫡男として生まれました。幼名は竜助といい、若くして徳川家重(いえしげ)の小姓に取り立てられます。父の死後、家督を継ぎ、将軍・家重の側用人として頭角を現しました。

宝暦8年(1758)、意次は1万石を与えられて大名となりました。その後、側用人から老中格、そして老中へと昇進を重ね、その権勢は将軍・家治(いえはる)の治世で頂点を迎えます。

家重は家治に、「(意次は)またうと(全人=正直な人)のものだから、目をかけて用いよ」と遺言を残したそうです。

相良城本丸跡にある、田沼意次候の銅像

田沼政治の展開。次ページに続きます

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