はじめに-五代目瀬川とはどのような人物だったのか
吉原の松葉屋に所属し、五代目瀬川(せがわ)と称された遊女は、江戸時代中期の名妓(めいぎ)として知られています。彼女の生涯は明確な記録が少なく、生没年すらも不明ですが、安永4年(1775)に発生した盲人の高利貸し・鳥山検校(けんぎょう)による身請け事件で一躍注目されました。その事件は当時の世相や遊里文化に大きな影響を与え、文学作品の題材にもなりました。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、蔦屋重三郎の幼馴染の売れっ子花魁・花の井(演:小芝風花)として描かれます。
目次
はじめに-五代目瀬川とはどのような人物だったのか
五代目瀬川が生きた時代
五代目瀬川の生涯と主な出来事
まとめ
五代目瀬川が生きた時代
五代目瀬川が活躍したのは、江戸時代中期の安永年間(1772~1781)でしょう。この時代、江戸の町は経済的にも文化的にも繁栄し、遊里文化は成熟期を迎えていました。
一方で、豪商や高利貸しが莫大な財を背景に遊里で名を馳せることも多く、瀬川と鳥山検校の関係もその一例です。また、この頃、洒落本などの文学ジャンルが台頭し、遊里の出来事が江戸庶民の話題として消費されていく文化も芽生えていました。
五代目瀬川の生涯と主な出来事
五代目瀬川の生没年は不詳です。彼女の生涯は謎に包まれていますが、記録に残っている足跡を断片的に辿っていきましょう。
伝説の女郎の名跡「瀬川」を継ぐ
花の井(※『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』での名前)は、吉原遊郭の中でも一番格上の女郎屋である「松葉屋(まつばや)」の遊女となり、のちに五代目瀬川の名跡(みょうせき)を継ぎました。
吉原遊里には、代々名妓に引き継がれる名跡がいくつか存在します。中でも特に有名なものがこの「瀬川」です。「瀬川」という名は、吉原の中の町通りで大見世(おおみせ)を張っていた遊女屋「松葉屋」の看板遊女の名跡として知られています。
この名跡を持つ遊女たちは、美貌や才覚、そして波乱に満ちた生涯で江戸の人々を魅了しました。特に、初代から六代目までが有名です。
以下に初代と四代目の足跡を紹介しましょう。
【初代瀬川-夫の敵を討った遊女。次ページに続きます】