はじめに-徳川家治とはどんな人物だったのか?
徳川家治(とくがわ・いえはる)は、江戸幕府第10代将軍を務めた人物です。家治の治世(1760~1786年)は、「田沼時代」と称される産業振興策が進められた一方で、天明の大飢饉や社会不安の高まりといった困難にも直面しました。50歳で没した家治の治世は、江戸幕府の転換期を象徴する時代とされています。
そんな徳川家治ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(以下『べらぼう』)では、意次との深い絆を持つ10代将軍(演:眞島秀和)として描かれます。

目次
はじめに-徳川家治とはどんな人物だったのか?
徳川家治の生きた時代
徳川家治の足跡と主な出来事
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』で描かれた、徳川家治
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で描かれる、徳川家治
まとめ
徳川家治の生きた時代
家治が将軍職にあった宝暦から天明期(1751~1789)は、江戸時代の転換期といわれています。この時期は、田沼意次を側用人から老中に抜擢し、産業振興策を推し進めた「田沼政治」が行われました。
外貨獲得を目的とした俵物輸出や貨幣政策の改革などが行われた一方、賄賂政治への批判や天明の大飢饉、社会不安が高まり、体制の危機が進行していたのです。
徳川家治の足跡と主な出来事
徳川家治の生年は、元文2年(1737)、没年は天明6年(1786)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
9代将軍・徳川家重の長男として誕生
元文2年(1737)5月22日、家治は9代将軍・家重(いえしげ)と母・梅渓(うめたに)氏お幸(こう)の長男として、江戸城西丸で誕生します。幼名は、竹千代でした。
幼少期、家治には文武の才が見受けられ、囲碁・将棋も巧みであったため、祖父・吉宗は大層期待したと言います。その背景には、9代将軍・家重が、生来病弱で言語障害がある上、酒色に耽っていた不肖の息子だったことが挙げられるでしょう。
そうしたことから、家治は、吉宗の元で育てられ、直々に薫陶を受けて育ちました。しかし、周囲の期待に反し、成長するにつれ凡庸な人物になっていったといわれています。

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