はじめに-徳川家治とはどんな人物だったのか?
「江戸幕府10代将軍・徳川家治(いえはる)」が何をした人物かと問われた時、はっきりとこたえられる人は少ないのではないでしょうか? 家治の時代、政治の実権は老中の田沼意次(たぬま・おきつぐ)が握っていたので、そちらの印象の方が強いかもしれません。
では、徳川家治とは、実際どのような将軍だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、10代将軍に就任するも、政は田沼意次に委ねる人物(演:高田夏帆)として描かれます。
目次
はじめに-徳川家治とはどんな人物だったのか?
徳川家治の生きた時代
徳川家治の足跡と主な出来事
まとめ
徳川家治の生きた時代
徳川家治が生まれたのは、元文2年(1737)。徳川家康が江戸幕府を開いてから、130年以上の歳月が経ち、8代将軍・徳川吉宗が施政をしていた時代でした。吉宗は、家治にとって祖父にあたる存在です。
吉宗は、質素倹約・財政安定のほか、文武の奨励、人材登用、新田開発など多方面にわたる幕政改革をしました。こうした実績から、幕府中興の英主と仰がれています。
そうした偉大な祖父のもと、家治は成長しました。
徳川家治の足跡と主な出来事
徳川家治の生年は、元文2年(1737)、没年は天明6年(1786)です。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
9代将軍・徳川家重の長男として誕生
元文2年(1737)5月22日、家治は9代将軍・家重(いえしげ)と母・梅渓(うめたに)氏お幸(こう)の長男として、江戸城西丸で誕生します。幼名は、竹千代でした。
幼少期、家治には文武の才が見受けられ、囲碁・将棋も巧みであったため、祖父・吉宗は大層期待したと言います。その背景には、9代将軍・家重が、生来病弱で言語障害がある上、酒色に耽っていた不肖の息子だったことが挙げられるでしょう。
そうしたことから、家治は、吉宗の元で育てられ、直々に薫陶を受けて育ちました。しかし、周囲の期待に反し、成長するにつれ凡庸な人物になっていったと言われています。
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