文/池上信次
ちょっと寄り道しましたが、今回は「ポップス発祥のジャズ・スタンダード」の話題に戻ります。ポップスのシンガーソングライターの楽曲でジャズ・スタンダード化している曲は、前回までにスティーヴィー・ワンダーの多くの楽曲、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」、スティングの「フラジャイル」を紹介しました(最下段の記事リンク集参照)。シンガーソングライター(またはグループ)の楽曲は、当然ながらもとより「汎用性」は考えられていませんし、作家であり演奏者本人のイメージのかたまりですから、それらは珍しい例といえるでしょう。ヒット曲であればあるほど「ポップス・カヴァーズ」だったり、「プレイズ・ビートルズ・ソングス」といった「特別企画」になってしまいがちです。
今回はまず、ジャズ・ミュージシャンが取り上げた、それらの中間というか「特別扱いしていない」ポップスのシンガーソングライター楽曲のお勧めヴァージョンを紹介します(年は楽曲・アルバムの発表年)。
*ボブ・ディラン「くよくよするなよ」(1963年)
ブラッド・メルドー『クリス・シーリー&ブラッド・メルドー』(ノンサッチ/2017年)
*ボブ・ディラン「マイ・バック・ページズ」(1964年)
キース・ジャレット『サムホエア・ビフォー』(ヴォルテックス/1968年)
*ザ・ビーチ・ボーイズ「フレンズ」(1968年)
ブラッド・メルドー『シーモア・リーズ・ザ・コンスティチューション』(ノンサッチ/2018年)
*ポール・サイモン「恋人と別れる50の方法」(1975年)
ブラッド・メルドー『ライヴ・イン・トーキョー』(ノンサッチ/2004年)
ドクター・ロニー・スミス『オール・イン・マイ・マインド』(ブルーノート/2018年)
*ポール・サイモン「時の流れに」(1975年)
ブラッド・メルドー『エニシング・ゴーズ』(ワーナー/2004年)
*ジョニ・ミッチェル/ジュディ・コリンズ「青春の光と影」(1967年)
パット・マルティーノ『コンシャスネス』(ミューズ/1975年)
パット・マルティーノ&カサンドラ・ウィルソン『オール・サイズ・ナウ』(ブルーノート/1997年)
フレッド・ハーシュ『ソロ』(パルメット/2015年)
*レオン・ラッセル「ア・ソング・フォー・ユー」(1970年)
ロン・カーター『ア・ソング・フォー・ユー』(マイルストーン/1978年)
*デヴィッド・ボウイ「ライフ・オン・マーズ」(1971年)
セシリア・ノービー『マイ・コーナー・オブ・ザ・スカイ』(ブルーノート/1996年)
*レオン・ラッセル「ディス・マスカレード」(1972年)
ジョージ・ベンソン『ブリージン』(ワーナー/1976年)
デヴィッド・サンボーン『パールズ』(ワーナー/1995年)
*ジョニ・ミッチェル「ブラック・クロウ」(1976年)
ダイアナ・クラール『ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム』(ヴァーヴ/2004年)
*スティーリー・ダン「エイジャ」(1977年)
クリスチャン・マクブライド『Sci-Fi』(ヴァーヴ/2000年)
*レディオヘッド「パラノイド・アンドロイド」(1997年)
ブラッド・メルドー『ラーゴ』(ワーナー/2002年)ほか
*レディオヘッド「イグジット・ミュージック」(1997年)
ブラッド・メルドー『ソングス:アート・オブ・ザ・トリオ vol.3』(ワーナー/1998年)ほか
*レディオヘッド「モーニング・ベル」(2000年)
クリス・ポッター『アンダーグラウンド』(サニーサイド/2006年)
*レディオヘッド「ナイヴズ・アウト」(2001年)
ブラッド・メルドー『デイ・イズ・ダン』(ノンサッチ/2005年)ほか
よく知られる(と思われる)曲を拾ってみましたが、ポップスのヒット曲を、「その曲を演奏する」ことが売りではなく、「アルバムのなかの1曲」として取り上げているのは案外少ないようです。演奏者はブラッド・メルドー、ネタもとはレディオヘッドばかりになってしまいましたが、メルドーは積極的にポップスやロックを掘り起こし、とくにレディオヘッドの楽曲はそれに応えられる深さがあるということがはっきり見えますね。レディオヘッドの楽曲はまだジャズ・スタンダードとはいえませんが、今後もっとジャズ・ミュージシャンから注目されていくことでしょう。(なお、ザ・ビートルズの楽曲は除外しました。また回をあらためて紹介します)。
ジャズ・ミュージシャンが、ポップスのシンガーソングライターの楽曲を取り上げたアルバムの多くはいわゆる「企画もの」ですが、それに徹底した筆頭としてはハービー・ハンコックの『ザ・ニュー・スタンダード』が挙げられます。1996年リリースのこのアルバムは、自作1曲のほかはすべてポップスのヒット曲で、しかも前例のない楽曲をあえて選んでいるようです。もとネタはジャズ的要素がほとんど感じられない楽曲ばかりです。
収録楽曲とオリジナルのアーティストを列記すると、
1)ニューヨーク・ミニット(ドン・ヘンリー/イーグルス)
2)マーシー・ストリート(ピーター・ガブリエル)
3)ノルウェーの森(ザ・ビートルズ)
4)ホエン・キャン・アイ・シー・ユー(ベイビーフェイス)
5)バッド・ガール(スティーヴィー・ワンダー)
6)ストロンガー・ザン・プライド(シャーデー)
7)スカボロー・フェア(サイモン&ガーファンクル)
8)シーヴス・イン・ザ・テンプル(プリンス)
9)オール・アポロジーズ(ニルヴァーナ)
10)マンハッタン(ハービー・ハンコック)
11)ユア・ゴールド・ティースII(スティーリー・ダン)
これらの曲は「ジャズ・スタンダード」にはなっていませんので、今でも「ハンコック・プレイズ・ポップス・ヒット曲集」です。これだけを見るとまったくの「企画もの」ではありますが、ハンコックはもうオリジナルはやり尽くしてしまったのか(?)この後のアルバムの半数が「ポップス・ヒット曲集」になっており、特別企画ではなくこれが平常運転になっていくのです。しかもいずれも「本家」までゲストとしてフィーチャーするという徹底ぶり。
1998年の『ガーシュウィン・ワールド』(ヴァーヴ)では、スティーヴィー・ワンダーとジョニ・ミッチェルがガーシュウィンを演奏するという逆パターンを試み、2005年の『ポッシビリティーズ』(ヒアミュージック)では、ポール・サイモンやスティング、クリスティーナ・アギレラらをフィーチャーして彼らの楽曲を演奏しています。そして、2007年『リヴァー:ザ・ジョニ・レターズ』(ヴァーヴ)は本人も参加したジョニ・ミッチェル曲集。続く『イマジン・プロジェクト』(ハンコックレコーズ)には、多くのヴォーカリストが参加し、ジョン・レノン、ビートルズやボブ・ディランの楽曲を演奏しています。
この流れを見ると、『ザ・ニュー・スタンダード』はただポップス曲を演奏するという一過性の企画ではなく、ポップスとジャズの境目をなくすという試みの出発点だったように思えます。ジャズの歴史をみれば、これは先祖返り、あるいは温故知新ともいえるでしょう。『イマジン・プロジェクト』が2010年、ロバート・グラスパーの『ブラック・レディオ』が2012年ですから、ハンコックはここで現在のジャズの大きな流れのひとつの源流をつくったのです。今振り返れば、ハンコックの「ニュー・スタンダード」とはジャズの新しいスタイルの宣言だったのです。
『ポップス発祥のジャズ・スタンダード「曲」』の記事リンク集
ビリー・ジョエル「素顔のままで」のジャズ演奏BEST20【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道150】 https://serai.jp/hobby/1066801
ジャズ・ミュージシャンたちが注目したスティングの「フラジャイル」【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道151】 https://serai.jp/hobby/1067936
スティングが作った最高のジャズ・バンド【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道152】 https://serai.jp/hobby/1068871
元ザ・ポリスのギタリストがジャズをやっている!?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道153】 https://serai.jp/hobby/1069733
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。