文/池上信次

前回(https://serai.jp/hobby/1066801)に続いて「ポップス発祥のジャズ・スタンダード」を紹介します。今回紹介するのは、スティングの「フラジャイル」。作詞・作曲はスティング、1987年発表のアルバム『ナッシング・ライク・ザ・サン』に収録されています。前回までに紹介したスティーヴィー・ワンダーやビリー・ジョエルの曲に比べれば、(発表から35年も経っていますが)スタンダードとしては「新しめの曲」といえるでしょう。

スティング(1951年生まれ)は1970年代末から人気を博したイギリスのロック・グループ「ザ・ポリス」のメンバー(ヴォーカルとベース)で、1984年のポリスの実質的活動停止後、ソロ活動を開始しました。サウンドはジャズ・フュージョンを志向し、ソロ活動の最初のバンド(セッションではなく固定メンバー)は、ブランフォード・マルサリス(サックス)、ケニー・カークランド(ピアノ、キーボード)、ダリル・ジョーンズ(ベース)、オマー・ハキム(ドラムス)という、当時もっともイキのいいジャズ・ミュージシャンで固められていました。なお、そこではスティングはギターを弾いています。

ポリスのヒット曲のほとんどはスティングによる作詞作曲であり、その楽曲スタイルはソロになっても大きく変わることはありませんでしたが、この顔ぶれですから、ポリスとは打って変わってジャズ・ミュージシャンたちがその音楽に大きく注目したことは想像に難くありません。スティングはソロ活動開始直後からヒットを連発しましたが、ジャズ・ミュージシャンたちが注目したのは「フラジャイル」でした。オリジナルの演奏メンバーは、スティング(ヴォーカル、ギター、ベース)、ケニー・カークランド(キーボード)、ミノ・シネル(パーカッション)です。


スティング『ナッシング・ライク・ザ・サン』(A&M)
演奏:スティング(ヴォーカル、ギター、ベース)、ケニー・カークランド(キーボード)、マヌ・カッチェ(ドラムス)、ミノ・シネル(パーカッション)、ブランフォード・マルサリス(サックス)、アンディ・ニューマーク(ドラムス)、ギル・エヴァンス(オーケストレーション)、アンディ・サマーズ(ギター)、マーク・ノップラー(ギター)、エリック・クラプトン(ギター)ほか
発表:1987年
『ブルー・タートルの夢』『ブリング・オン・ザ・ナイト』(ライヴ)に続くソロ3作目。このアルバムからはアメリカで「ウィル・ビー・トゥゲザー」など2曲、イギリスで「フラジャイル」「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」など3曲がシングルカットされ、いずれも大ヒットしました。

では、お勧めヴァージョンを発表年順に列挙します。

1)フレディ・ハバード(tp)『タイムズ・アー・チェンジング』(ブルーノート/1989年)
2)ケニー・バロン(p)『ザ・モーメント』(レザボア/1991年)
3)カーク・ウェイラム(sax)[feat. ブレンダ・ラッセル(vo)]『キャシェ』(コロンビア/1993年)
4)ラムゼイ・ルイス(p)『ダンス・オブ・ザ・ソウル』(GRP/1998年)
5)ジェシー・クック(g)[feat. ホリー・コール(vo)]『ヴァーティゴ』(ナラダ/1998年)

ここまでが20世紀。まあ、じわじわという感じですね。フレディ・ハバードが早い時期に取り上げていますが、これはおそらくプロデューサーのトッド・コクランのアイデアでしょう。意外なのはケニー・バロン。この『ザ・モーメント』では、セロニアス・モンクやマル・ウォルドロン、アーヴィング・バーリンの曲とスティングが並んでいます。違和感まったくなしというのが面白いところです。素晴らしい「選曲眼」ですね。


カサンドラ・ウィルソン『グラマード』(ブルーノート)
演奏:カサンドラ・ウィルソン(ヴォーカル、ギター)、ファブリツィオ・ソッティ(ギター)、レジナルド・ヴィール(ベース)、テリ・リン・キャリントン(ドラムス)、ジェフリー・ヘインズ(パーカッション)
発表:2003年
「フラジャイル」はアルバム冒頭に収録され、アルバム全体のムードを決定づけています。アコースティック・ギターとパーカッションを生かした、じつはスティングに近い編成ながらスティングとはまるで印象が違う世界を作り出しています。

続いて21世紀。

6)ケニー・バロン(p)&レジーナ・カーター(violin)『フリーフォール』(ヴァーヴ/2001年)
7)カサンドラ・ウィルソン(vo)『グラマード』(ブルーノート/2003年)
8)ケルン・サキソフォン・カルテット feat. ボブ・ミンツァー『ヨー』(ノイクラング/2005年)
9)ペドロ・アスナール(vo, b)『Quebrado』(タブリーズ・ミュージック/2008年)
10)チャーネット・モフェット(b)『ザ・ブリッジ』(モテマミュージック/2013年)

なんとケニー・バロンは編成を変えて再演しています。元が歌ものなのでヴォーカル・ヴァージョンが多いのはもちろんですが、サックス・カルテットやソロ・ベース(チャーネット・モフェット)もあったりするのは、ジャズ的に柔軟に対応できる曲であるということですね。スティング本人はこの曲を英語のほか、ポルトガル語(タイトルは「Frágil」)、スペイン語(「Fragilidad」)でも録音・発表していますので、とくに力を入れていた曲と思われます。ペドロ・アスナールはパット・メセニー・グループへの参加で知られますが、これは母国(アルゼンチン)でリリースしたスペイン語ヴァージョンです。

さて、この紹介した10曲のミュージシャンは、いずれも「スティングが歌ったヒットの時代」を知る世代です。本人たちはもちろん、同世代のリスナーもスティングとその時代の影響から逃れられないのですが(それにうまく乗ることが成功ということでもあります)、そこから離れた演奏こそが、ほんとうの「スタンダードとしての演奏」といえるでしょう。

そして、ぜひ聴いていただきたいもう1ヴァージョン。

11)ジョーイ・アレキサンダー(p)『ワルナ』(ヴァーヴ/2020年)


ジョーイ・アレキサンダー『ワルナ』(ヴァーヴ)
演奏:ジョーイ・アレキサンダー(ピアノ)、ラリー・グレナディア(ベース)、ケンドリック・スコット(ドラムス)
発表:2020年
ジョーイ・アレキサンダーのアルバムはこれが5枚目。これまでに2作がグラミー賞ノミネート。現在のジャズの最先端にいるふたりをバックに瑞々しいプレイを聴かせてくれます。

ジョーイ・アレキサンダーはインドネシア出身の2003年生まれ。2014年にニューヨークに移住。2015年にファースト・アルバムをリリース。現在まだ20歳前のまさに「神童」。その年齢には驚くばかりですが、現時点での最新作で「フラジャイル」を取り上げました。まあ、彼にとっては「フラジャイル」でなくてもすべての曲が「昔の曲」(大昔か?)になりますが、ジャズ・スタンダードと並んでこの曲が取り上げられているということだけでも、「フラジャイル」の「名曲度」の高さ、ジャズとの相性のよさがうかがい知れるというものでしょう。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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