来年に迫った東京オリンピック・パラリンピック東京大会。この大会は、今年日本で開催されるラグビーW杯、2022年にカタールで開催されるFIFAワールドカップと並ぶスポーツの3大イベントとして知られていますが、実は、文化の祭典でもあります。そうした側面の周知や機運醸成のため、文化庁では昨年10月からCulture NIPPON シンポジウムを開催していいます。2月9日には、京都大会、東北大会、中国・四国大会に続き、東京大会が開催されました。
オープニングアクトは、2016年のリオ・パラリンピック閉会式でもパフォーマンスをしたダンサーの大前光市氏によるパフォーマンス。静寂な舞台に小さな光が灯り、音がないままに車椅子に乗った大前氏のダンスが始まり、ピアノの伴奏曲が流れ始めると、彼の肉体の美しさを見事に表現した踊りが披露されます。そしてクライマックスでは、大前氏が光と一体になり、会場は恍惚とした歓喜に包まれ、大きな拍手とともに「ブラボー」という声もかかりました。
その声の主は、第9代東京藝術大学学長(現・同大名誉教授)で金工作家、そして文化庁長官を務める宮田亮平氏。宮田長官は、元バレエダンサーの文部科学副大臣兼内閣府副大臣(東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当)の浮島智子氏が楽屋を訪ね、自分の劇団に所属していた大前氏に「障碍を持っているからこそ、障碍を前に出すのではなく、美しさと心を表現することで多くの人が感動するんだよ、それを忘れちゃいけない」という楽屋裏での出来事を紹介。若いころから厳しい時代背景のなかで美しさ姿を表現した浮島氏ならではの言葉、そのうえで舞台の素晴らしさを讃える「ブラボー」だった、という“宮田節”で挨拶を始めます。
宮田氏は、「皆さんも、(ブラボーと)叫べばいいのに」と続け、その理由について解説します。
「自分が信じたもの、またある時、偶然であっても感じあえたものに対して、どれだけ素直になって、それをお返しできるかが、これからの日本に求められています。日本人は、どうしても、やや奥ゆかしいところがあり、素晴らしいと感じた気持ちを表現できずに、海外の人からは、ときには感じていないかのように思われてしまうハンディがある。
今日のシンポジウムのテーマは文学。これは表現の仕方が文字、さらには源氏物語絵巻のように(流麗なかな文字などと)絵画も含めて文字の中での幅広い表現を、日本人が世界に先駆けて持っていたことがある。このシンポジウムでは、高校生ニッポン文化大使を始め、様々な方が登壇します。その中で、皆さんの中でキラッと光るものを感じ入ってくれたらば、それを大いに発信していただきたい。
今後、日本の文化の魅力を『日本博』として発信します。3月3日がキックオフなので、大いに発信をして、世界の人たちに『日本って、なんて素敵なんだろう』ということを、ぜひとも伝えていきたい。そのためには、演者だけではなくて、(それを見る側も)あらためて素敵だよということを伝えていただきたい。今日のシンポジウムで発表される文学について、『日本博』について大いに発信していただきたい」
つまり、作品が素晴らしさを知ることはもちろんだが、それを受け取った人たちが、「ブラボー!」「素敵です」とリアクションすることで、交流が生まれる。文化の素晴らしさは、そうやって伝播するものなので、見るだけでなく、アクションを起こそう、と宮田氏は提案しました。
森羅万象を捉えようと言外の表現も発達した日本語
外の人には、少し丁寧に説明する“言葉のおもてなし”が肝要
宮田長官の挨拶が終わると、日本文学研究者で国文学研究資料館館長のロバート・キャンベル氏が「人と人を繋ぐ文学の力」と題して基調講演を行ないました。冒頭にキャンベル氏は、国文学研究資料館の活動について触れました。同資料館では、1300年以上の歴史を持つ日本の文学のマテリアルとしての文献資料を、デジタル アーカイブ(資料を保存・目録化し、アクセス可能にするための作業)を行なっているとのこと。ひとつの言語が1000年以上も使われ続けているケースは珍しく、書かれている事実や現実の奥底にある人々の生活や心の真実、さらには約1000年間の地球環境の変化などを、世界共通の人類資源として使えるような環境を整え、発信しているそうです。
多くの人がイメージする日本の文化には、和食、マンガ、映画、ものづくり、アート、浮世絵などがある思うが、これらを根っこで育ててきているのが文学だ、とキャンベル氏は考えているそうです。辞書などでの一般的な文学の定義は、「言語表現による芸術作品」とされるけれど、日本の文学の大きな特徴には、芸術という側面とは別に、森羅万象を捉えようとする側面がある、として、自分自身の体験を話してくれました。
それは、いまから7年前のこと。キャンベル氏は、生死をさまよう大病をしたそうです。病気療養の入院生活で時間を持て余していたときに、キャンベル氏は、大好きな井上陽水の歌を、一曲ずつ英訳したそうです。そのなかのひとつとして「傘がない」の日本語歌詞と、キャンベルさんによる英訳歌詞をスクリーンに映し出します。
この歌詞の一節には、英語では大抵用いられる人称表現がないため、英語に置き換えたときに、誰が話をしているかがわからない、ということが浮き彫りになったとか。キャンベル氏は、井上陽水さんご本人を取材するなどして意味を確かめる過程で、この歌詞は恋愛を扱っているようにも読めるが、実は、もっと大きなテーマを扱っていることを知ったそうです。
そのうえで、日本語が持つ力について、次のような考えを示しました。
「この歌が文学か、芸術かについて争うよりも、日本語には、言外のさまざまな人々を勇気づけたり、人々の行為や思いを留める力があることを、今日は考えたいです。まず日本語は、100年前、200年前の人と対話し、共感するということを可能にしています。しかも、そうした言葉が淘汰されるどころか磨きがかかり、現代に伝わっています。源氏物語のような文学はもちろん、和菓子の名前のような小さなところ、季節の移ろいのような身近なところなど、ありとあらゆるところで、日本の言葉、日本のストーリーは、心を運ぶ役割を果たしている。こうしたものを文学として捉えてみたらいかがでしょう」
さらに、井上陽水さんの別の1曲「家へおかえり」(アルバム『断絶』収録)を翻訳する過程で、歌詞の中にある<今日の日~>の部分の英訳の難しさを引き合いに、日本人独特の時間観に触れ、「日本の文化の中で育った人であれば、その言葉で表さない言外の部分をすぐに理解し合えるけれど、そうでない人には、(言葉の空白の部分を埋める)大きな補足、これを『言葉によるおもてなし』といえるかもしれませんが、少し手を差し伸べる、手伝うことが必要になる」ということを紹介し、日本の文化を伝える際、“言葉のおもてなし”が大切であり、そうした心が人と人が繋げていくのではないか、と締めくくりました。
高校生が感じる日本文化の魅力
宮田文化庁長官「勉強になりました」
続くセッションは「高校生ニッポン文化大使が語る『日本文化の魅力』」。高校生ニッポン文化大使は、日本の文化を学び、新たな魅力を世界に発信する高校生を全国から募り、選抜する文化庁のプロジェクトで、今年のテーマは「縄文」。全12名の中からの5名、宮田氏、そして文化庁文化プログラム担当室長・三輪善英氏によるトークセッションが行われました。
安野喬雄さん(奈良県立奈良高2年)は、日本文化には「静」と「動」の両面があることを強調します。たとえば「方丈記」では、京都の大火災や辻風など「動」的なものを表現することで、全体としては「静」的な無常観があると分析しています。
熊倉海月さん(新潟県立新潟高1年)は、日本文化は自然と深く結びついていることが特徴で、縄文文化の土偶でも自然をモチーフにしたものがあることを挙げたうえで、それが言語習慣の中にも根付いていると考えています。また、言葉は、言の葉であり、私たちが発した言葉が、葉となり、それが木となり、文章や会話を組み立てているイメージがある、それは日本語が自然への敬意の媒体であることを日本人は昔から知っていたのではないか、と発想豊かな解釈を提示し、宮田長官を「勉強になりました」と頷かせました。
藤木貴生さん(新潟県立十日町高1年)は、日本文化のルーツには縄文時代の影響が強く、約1万年続いた平和な時代が、独自の発展を促したことを指摘しました。彼の郷里の十日町市では、火焔型土器が出土し、それは、現代の日本のものづくりにも通じる素晴らしいものではないか、とのこと。さらに、東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に火焔型土器を採用されることが、新潟県民の強い願いであることも触れました。
南條立樹さん(滋賀県立信楽高2年)のプレゼンテーションは、自らが学んでいる信楽焼がテーマ。輸出品として発展した磁器と異なり、信楽焼などの陶器は、日常で使われることを想定し、素朴さを持ちながら、その中に高級感も追求しているのだとか。そして、もう少し陶器を使う習慣が、とくに若い世代に広がって欲しいとの願いを語りました。
山田隼大さん(海陽中等教育学校5年)は、過去から連綿と続く日本美術に貫かれた特徴を考えたが、うまく言葉に出来なかった経験を話してくれました。そのうえで、自分が好きな仏像を例にして、日本文化の特徴とされる感じ方に意識することよりも、ひとつひとつの作品と、自分ならではの問いをもって向き合えば楽しめるのではないか、と別の視点からの見方をしました。
作家、編集者、スポーツ選手がめいめいに、
人と人を繋ぐ文学について語る
トークイベントの後は、様々な視点からのショートプレゼンテーション。作家・村田沙耶香氏、小学館出版局文芸デジタル出版企画室編集長・片江佳葉子氏、カーリング・オリンピアンの小笠原 歩氏が登壇しました。
村田氏は、小説の文章を音楽に喩えると楽譜であり、受け手である読者や編集者たちが奏でてくれることで、豊かな作品へと成長していくことを紹介。『コンビニ人間』が米国や英国で翻訳出版される過程で起きた出来事や、そこで出会った素敵な人々との繋がりの数々を共有してくれました。
中学生作家・鈴木るりかさんの担当をする片江氏のテーマは「作家と読者をつなぐ編集者の仕事」。いまどきの編集者の仕事は、本の中身を作ることはもちろん、それを読者に届けるための商品に仕立て上げる創意工夫、さらには出来上がったものを多くの人に届けるための橋渡し役であることを、数多くの実例を挙げながら報告してくれました。そして、世の中や出版を取り巻く状況が大きく変わったとしても、編集者の本質的な仕事は変わらないのではないか、と締めくくりました。
小笠原氏は、カーリングには強靭な精神力が必要とされ、それを鍛えていく方法のひとつとして、読書が役立ったと明かしてくれました。彼女は、カーリング人生で感銘を受けた本として3冊を挙げます。羽生善治さんの『大局観 自分と闘って負けない心』と『決断力』(ともに角川oneテーマ21)、荒木香織『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』(講談社+α新書)です。これらの本から役に立った文章を引用し、具体的な場面で、どのように考え、活かしたか、読書法のヒントを教えてくれました。小笠原さんは、こうした本のほかにも小説やマンガなど、幅広いジャンルのものを読み、作者に問いかけながら、本を通じて対話してきたのではないか、と話を締めくくりました。
分断の力に歯止めをかける言葉の芸術
「私は、読者に光と希望を届けたい!」「ブラボー!」
最後には、ロバート・キャンベル氏がモデレーターを務め、宮田長官、村田沙耶香氏、小笠原 歩氏、片江佳葉子氏、そして中学生作家の鈴木るりかさんをパネリストに迎え、「文学が繋ぐ人と人 ~2020年とその先の未来へ向かって」をテーマにして、パネルディスカッションが行われました。
パネルディスカッションから参加した鈴木るりかさんは、文字が読めない小さい頃から図書館に通い、そこの司書に志賀直哉の「小僧の神様」を勧められたことをきっかけに、昭和文学の世界に興味を持ったとか。そうした経験を通じて、作品を紡ぐ力をつけていったようです。
村田氏は、「あなたにとって文学とは何ですか?」というキャンベル氏の問いに、「自分は幼少期から女の子でいることが辛く、苦しかった。小説の言葉によって救われた。私にとって文学は無くてはならないもの」という心の襞にしまっていた思いを明かしてくれました。
小笠原さんは、氷上ではネガティブな言葉は使わず、ポジティブな視点に置き換えて見ること、そういう訓練は、読書から得られているのだとか。また、作家のタイプによって、のびのびと執筆ができるような環境を整えたり、積極的に関わるという片江氏のエピソードに、キャンベル氏は、和食を例にして、さまざまな人が関わって、素晴らしい作品が生まれるといった解説を加えました。さらに、社会に分断の力が働いている時代だから、言葉によって作られた芸術が、いろいろな人の生きる力になり、これは日本にとってのアドバンテージではないかとの見方を示しました。
最後にキャンベルさんは、鈴木さんに「5年先、10年先、どういう繋がりを持って、どういう力を得て、どういう風に生きていて欲しいか?」と問いました。すると鈴木さんは、「私の本は、小学生から年配の方まで、幅広い読者がいるそうです。先日、80代の方からファンレターをいただき、その方は、私の本を読んで、次も読みたい、だから生きていこうと思ってくれたそうです。こんな風に、私の本を読んでくれた方には、生きる! という前向きなことを感じてもらいたいと思っています。読者が、光や希望を感じることを書いていきたい。そして読んだ後に、救われたなと思っていただけるとうれしいし、作家冥利に尽きる」と元気よく答えると、大きな拍手と、「ブラボー!」という声がかかり、会場に集まった人の心が一体となりました。
今後も文化庁では『日本博』などを通じて、来年に迫った東京オリンピック・パラリンピック大会が、スポーツの祭典のみならず文化の祭典であることを発信する活動を続けていくそうです。
今後の活動に、ご注目ください。
Culture NIPPON公式サイト
https://culture-nippon.go.jp/ja
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