約2年後に迫った、東京オリンピック・パラリンピック競技大会。スポーツが人間の営みであり、<人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体>(デジタル大辞泉)が文化であるとするならば、東京オリンピック・パラリンピック競技大会は、文化の祭典という見方をすることもできます。そして、多くの外国人が訪れるであることを考えると、日本の文化や伝統を世界に伝える好機と捉えることもできます。
こうした趣旨を踏まえ、文化庁では次世代に向けたオリンピック・レガシー(有形無形の社会的遺産)を生み出す文化プログラムの周知と普及を目指し、日本各地の文化資源の発掘や発信、国際文化交流などをテーマにしたシンポジウム「Culture NIPPON シンポジウム」を全国4会場で開催しています。
その第2回目となる東北大会が12月10日に、アイーナ(いわて県民情報交流センター)で行なわれました。
イベント冒頭にはオープニングアクトとして、市民の舞台劇である遠野物語ファンタジーと、岩手県出身の声優・ナレーターの桑原法子さんによる朗読が行なわれました。
民俗学者・柳田国男が東北地方の一盆地を全国的に有名にした「遠野物語」や、その誕生に深く関わった遠野の佐々木喜善の「聴耳草紙」など、遠野にはたくさんの口承民話があります。それらの話を拾い上げ、遠野市の有志が原作・脚本を作り、子どもから大人までが出演して舞台を創るという、市民と行政が協働で取り組んで行なわれているのが遠野物語ファンタジー。1976年から始まり、今年で45回目を迎えます。この活動を通じて、以前は衰退しかけていた民衆芸能が、息を吹き返すきっかけとなりました。オープニング・アクトで上演されたのは、そのショートバージョン。遠野昔話語り部の会の細越澤史子さんの語りが始まると、会場はあっという間に物語の世界へと引き込まれました。
会場に深い余韻が残るなか、遠野市出身の小説家・若竹千佐子『おらおらひとりでいぐも』(第158回芥川賞作品)、そして郷土の偉人・宮沢賢治の『原体剣舞連(はらたいけんばひれん)』を、桑原法子さんが朗読しました。朗読が始まると、会場は暗転し、桑島さんが舞台に浮かび上がるような演出で、東北訛り豊かな会話箇所を中心に、数節が読み上げられました。『原体剣舞連』は、桑原さんにとっても大切にしている作品。彼女の父が20歳のときに、聞いた宮沢賢治詩集のソノシート(塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード。朝日ソノラマ社の商標)に感銘を受け、独自のアレンジなども加えたものを受け継いでいるとのこと。もともと宴席などのハレの席で踊られる縁起物だったこともあり、桑原さんの父お父さんは、結婚式の余興などで披露していた、というエピソードを紹介したうえで、朗読が始まりました。
ちなみに、桑原さんは、宮沢賢治などの詩を朗読する「朗読夜」という公演をライフワークにしています。詳しくは、桑原さんのツイッターをチェックしてみてください。また、東北訛りネイティブの彼女が朗読する『おらおらひとりでいぐも』のオーディオブックも用意されています。ご興味のある方は、こちらもどうぞ。
その後、文化庁次長・中岡 司氏と、岩手県知事の達増拓也氏が、開会の挨拶をしました。
中岡氏は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、スポーツの祭典であるとともに文化の祭典であり、日本が誇る地域性豊かで、多様な文化を発信する千載一遇のチャンスと捉え、全国津々浦々で、文化プログラムを実施していることを紹介。岩手県の「吉浜のスネカ」(大船渡市)など東北からは4つが「来訪神 仮面・仮装の神々」としてユネスコの無形文化遺産に登録されたことや、日仏友好160年を記念してパリで開催された「ジャポニスム2018」の公式プログラムにおいて岩手県の民俗芸能のすばらしさがアピールされたことに触れたしたうえで、「日本文化の総力を結集し、オールジャパンで2020年の東京オリンピック・パラリンピックを文化の大会として成功させるだけではなく、2020年のその先の未来に向かって、我が国文化の力をさらにさらに深めていく、皆さんと一緒に文化庁、全力で取り組んでいきたいと思っています」と挨拶をしました。
達増氏は、2016年に開催された第71回国民体育大会「希望郷いわて国体」と、第16回全国障害者スポーツ大会「希望郷いわて大会」において、スポーツと文化プログラムが一体となって行なわれて成功したことを挙げて、その経験を東京オリンピック・パラリンピックにも活かすために、岩手県としても積極的に向き合っていくと意気込みをあらわしました。
また、1964年に行なわれた東京オリンピック・パラリンピックは、高度成長する東京一極集中時代に、日本全国のモノ、ヒト、エネルギーが東京に集められて行なわれたが、2020年の大会は、世界中から東京に集まるエネルギーが、東京から地方へ広がるイベントになって欲しい、という期待の声もありました。そのうえで、「今回のシンポジウムが、平成の次の御代において、地方から文化の花が開くような時代に向けた一歩となることを期待します」と挨拶を締めくくりました。
「『Welcome to Japan』『Welcome to Kamaishi』と声をかけて」
次のプログラムは、ラグビー元日本代表・世界選抜で、現在は(一社)日本スポーツ教育アカデミー理事長の吉田義人氏による「地域におけるスポーツの役割」と題した基調講演。ご存じのとおり、2019年は、オリンピック・パラリンピック、サッカーワールドカップとともに、世界3大スポーツ大会のひとつに数えられるラグビーのワールドカップが、9月20日~11月2日に日本の12都市で開催されます。会場のひとつとなる岩手県釜石市には、親切の釜石鵜住居復興スタジアムが新設され、来場者を迎えます。
吉田氏は、その概要から、地元にもたらすインパクトを豊富な事例などをもとに紹介し、ラグビー観戦愛好者の特徴として、試合を見学するだけでなく、地域の食や文化を楽しむことを目的に訪れる人が多いので、地元に観戦者が来たときには「ぜひ『Welcome to Japan』『Welcome to Kamaishi』と声をかけて友だちになってほしいです。そうして触れ合うことが、子どもたちの将来にも良い経験になると思います」と提案していました。
また、自らが伝えていきたい東北らしさ、東北の魅力として、「才色兼備」「郷土料理」「観光資源」「伝統工芸」「伝統文化」「文化遺産」という6つのキーワードと具体例を挙げて紹介し、これらは、東北を離れて都会で暮らしてから改めて素晴らしいと感じるようになったと自らの経験を熱く語りました。
文化プログラムの継続には、市民と行政の双方の関係が大切
基調講演に続いては、東北に関わりのある4名から、東京オリンピック・パラリンピックを機会に行なう文化プログラムへの示唆を与える提案が、ショートプレゼンテーション形式で行なわれました。最初には、東京大学名誉教授の佐藤一子氏が登壇しました。
佐藤氏は、イタリアに留学や滞在するなかで、市民が主体になって文化を発信するのは当たり前の国だったことに衝撃を受けたことが、社会教育という分野を自分が専門分野にした背景にあると自己紹介し、冒頭のオープニングアクトで披露された遠野物語ファンタジーについて、解説をしました。そのなかで「市民が主体的な活動をすることと、行政による町づくりのパートナーシップ、この双方の関係がなければ文化プログラムは伝承されていかない。そのことを非常に典型的に遠野の町づくりは語っている」と提唱しました。
また文化プログラムを考えるうえで大事なことを専門家の見地から4つ挙げました。1つ目は、文化というと、歌ったり、踊ったりというイメージがあるかもしれないが、その根本は「語り継ぐという営み」であること。特別に優れた方の能力でなくとも、日常的に人々が同士が語り継いでいくこと。この共同性あるいは多様な生活的価値が文化を原点に考えることが大切だそうです。2つ目は、子どもや若者が目を輝かせるような、世代を超えて継承されることの大切さ。その意味で、学校の役割は非常に大きいが、学校が地域と交流し、開かれていることも大事だそうです。3番目としては、文化財や伝統芸能は、保護・活用しなければ、発信できないので、行政と、住民・市民がいかに協力しあえるか。これに尽きるとか。互いが信頼し、その関係を育てあい、学びあう姿勢を育む姿勢が必要です。
そして最後に、人と人とを結びつけて生まれる感動、共感、連帯が、地域を超えて広がることも重要であることも指摘をされました。
具体例として、東日本大震災のときに、遠野の昔話の語り部のおばちゃんたちがボランティアセンターに行き、地獄を見てしまった若者たちに、昔話で語りかけて励ましたそうです。その語り部たちも、ずっと被災地に通ったため、くたくたになったけれど、「また、(昔話を聞きに)くるよ」と言われて元気をもらう。このように、三陸海岸を支え続けた、遠野の交流と連帯の力を感じた、というエピソードでお話を締めくくりました。
東北6県団結の象徴である「東北絆まつり」東京大会の開会式などへ参加を
続くプレゼンテーションは、東日本大震災後の東北の人々の活動についての報告。最初は、東日本大震災後に盛岡さんさ踊り、青森ねぶた祭、福島わらじまつり、秋田竿灯まつり、山形花笠まつり、仙台七夕まつりの6つの祭りがひとつになり、東北6県を一巡開催した「東北六魂祭」、その発展形として2017年に始まった「東北絆まつり」の活動について、東北絆まつり実行委員会 盛岡開催幹事長の橋本良隆氏がプレゼンテーションしました。
8月初旬、東北の各都市は、祭りで沸き立つ時間に包まれます。東日本大震災後、これらの祭りが自粛ムードのなかで開催が危ぶまれましたが、東北の復興の第一歩は、自らの様子を全国に発信することだと考えを転換し、仙台市が中心となって、6市の祭りを一同に集めた、「東北六魂祭」を2011年7月に開催しました。以後、盛岡、福島、山形、秋田、青森の各市で巡回開催された「東北鎮魂祭」は、震災復興支援の感謝を伝える思いも込めて2015年7月のミラノ万博のジャパンデーでパレードを行なったり、2016年9月に東京・虎ノ門で行なわれた「東京 新虎祭り」に参加するなど、積極的なPR活動を展開しました。
しかし、東北の復興は、未だ道半ば。まだまだ多くの支えを必要としていることから、それへの感謝、そして東北の連携を、これまで以上に発信する狙いから「多彩な東北が、熱い絆でひとつになる。」という思いのもとに「東北絆まつり」へと発展させ、2017年は仙台市、2018年は盛岡市、そして2019年は6月1日(土)、2日(日)に福島市での開催が予定されています(木幡 浩福島市長のツイート。#東北絆まつり)。
こうした取り組みを、橋本氏らの東北絆まつり関係者は、東京オリンピック・パラリンピックを好機に世界に向けて発信していきたいと考えています。
「2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、“復興五輪”と位置づけられている大会です。その文化プログラムの一貫として、東北きずな祭りを開会式などに参加できないかを、オリンピックの組織委員会に要望をしているところです」
東京オリンピック・パラリンピックの開催日程は、2020年の8月25日(火)~9月6日(日)と、東北6県の夏祭りと近いタイミングで行なわれます。競技観戦を機会に旅行する人々が、東北にまで足を伸ばし、そこで暮らす人々と触れ合うきっかけが生まれることを期待していることを、橋本氏は訴えていました。
アートと食と音楽で東北を元気にする「Reborn-Art Festival」
これに続くプレゼンテーションは、2016年に宮城県石巻市を中心に地域復興・振興を目指すアートと食と音楽の総合祭「Reborn-Art Festival」に関わる江良慶介氏によるものです。
Reborn-Art Festivalは、道路や防潮堤などのハードウェアは整い始めているが、そこに住む人が集落から出ていくなど、心の傷が癒えない、「精神面の復興が進まない」という問題意識を持つ江良氏は、内側からの復興を掲げて始めたものです。被災地の集落や浜辺などを、アーティストに紹介し、そこで地域の人、そこの資源、伝統的な文化、外から見た視点で捉え、地元と一緒に面白いものにしていこうと作品作りをしています。主なジャンルは、アート、食、音楽。たとえば、アーティストの有間かおるさんが「キワマリ荘」とよぶ多目的スペースを、元民家をリニューアルして作り、ここを拠点にしてライブパフォーマンスを行ったり、新しい民話のための体験型ツアーを行なうなど、積極的な活動をしています。
また、地元の生産者による食材を、石巻のシェフたちと活用し、一期一会の一皿を創作する活動も紹介されました。いま石巻では、地元でとれる海の幸や山の幸が、未利用なまま処分されることもあるそうです。これを憂いているシェフたちが、極上のブイヤーベースを作って提供したことなどが、紹介されました。
なお、今年の「リボーンアート・フェスティバル 2019」は8月3日(土)~9月30日(月)まで行なわれます。
なぜ、東北は立ち上がれるのか 歴史が語る祭りの意義
地震、津波、さらには放射能と、複合的な災害を被った福島の人々が、なぜ復興に向けて立ち上がることが出来たかを、「民俗芸能」をキーワードにしてプレゼンテーションを行なったのが、ふるさとのまつり実行委員会委員長の懸田弘訓氏。そのタイトルは、「福島県における被災と民俗芸能の再興」です。
江戸時代からたびたび起きた災害、それに伴う飢饉の様子を伝える図版を使いながら、いかに悲惨な地獄絵図が起きていたことの紹介からプレゼンテーションは始まりました。そうした厳しい現実のなかで、心の支えとして、希望の種として、人々が祭りを行なってきた、と懸田氏は分析し、なかでも「田植踊」と「獅子神楽」が重要ではないか、と考えています。
「福島県内に、豊作祈願をする田植踊を実施する地域は120組ありますが、70組は相馬地域です。また村の安全と繁栄を願う獅子神楽は県内に250か所で行なわれますが、相馬地方に170か所が集中しています。この地域は、たびたび飢饉があることでも知られ、夏に綿入り(の上着)が欲しくなったり、ストーブを使うことも珍しくありません。東日本大震災で放射能被害で大打撃を受けたこの地域に、いちばん芸能が残っていたのです」
そうしたなかで発災した2011年の夏から、どういう形であっても、ふるさとの祭りを実施し、なんとか立ち直ろうとした被災直後のまつりの事例が、写真を使って紹介されました。どの写真も、祭りという言葉から連想される内容とは少し違うものですが、その違いから、なぜ、そうなのか? という疑問が吹き出し、いかに災害のダメージが大きかったか、それに関わらず人々が必死に立ち直ろうと励んできたかが克明に伝わってきました。
ただし、浜通りとよばれる福島県の東側、太平洋に面したエリアには、昭和30年くらいまでは1200くらいあった郷土芸能は震災前年ま
でに1000くらいまでに減り、被災後は210くらいは危機的な状況にあることが紹介されました。
メディアでは断片的に明るいニュースが伝えられますが、実際の復興は、まだ道半ばにあることは、人々が毎年楽しみにして、子どもたちの笑顔が溢れる祭りが行なえないことからも伝わってくるプレゼンテーションでした。
未来に目を向け希望を持つことの大切さ
ショートプレゼンテーション後には、福島県出身のクリエイティブディレクターの箭内道彦氏による2つ目の基調講演が行なわれました。箭内氏は、タワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE.」CMなどを手がけるほか、ミュージシャンのミュージックビデオの制作のみならずや作詞/作曲といった楽曲提供、東京藝術大学で教鞭を執るなど、幅広い分野で活躍する鬼才。ご自身も、復興に関するクリエイティブ案件に関わっていること、そうした取り組みを行なう際の思いなどが語られました。彼の話が進むにつれて、会場は明るい雰囲気に包まれ、笑いなども溢れてきました。
圧巻だったのは、思春期にあの年を迎えた女性が、50年後の2061年に、孫娘に語る映像作品「MIRAI 2061」の上映です。映像からは、人々が具体的な未来を思い描くことで、希望を持てるのではないか。その希望とは、若い世代に目を向けることではないか、というメッセージがあったように思われます。また、苦しく厳しい現実と対峙しているときにも、明るい気持ちを持つことの大切さを感じることもできました(こちらのサイトには映像に関する箭内さんのインタビューがけあります)。
基調講演後のシンポジウムでは、モデレーターに佐藤一子氏を迎え、桑島法子氏、吉田義人氏、橋本良隆氏、江良慶介氏、懸田弘訓氏、箭内道彦氏の6人のパネラーによるシンポジウムが行なわれました。
東北には、人々が生活のなかで伝承する無形文化財が数多く残っていて、秋田県の17件というのは日本でもトップクラスであること、また、最近外国人観光客から青森県が人気になっていること、さらには、山形県の修験道の霊地には都会で心を病んだ女性が訪ねることなどが紹介されました。各パネラーからは、外から出て初めてわかる東北の良さ、それを点ではなく線や面で伝えるプロデュース視点の大切さ、東北の悠久の歴史についての魅力、「体験宿泊」は、言葉の通じない外国人も含めて、文化を知ってもらうには良い方法であることなど、活発な意見や提案がされました。さらに、外から来る人が楽しいだけでなく、地元の人たちがやって良かった、知り合えて友だちになれた、といった交流が生まれていることが、持続的な文化プログラムの発展には大切ではないか、といったことも提唱されました。
全体のプログラム終了後、地元の高校生やメディア関係者が登壇者を囲む取材の機会がありました。「東北の会場のお客様は、ただ聞いているだけでなく、反応が感じられて対話をしているようだった。地元を出て、東京や海外も知っている人が、自分たちに何を言ってくれるのか、真剣に聞いていただいた」(吉田氏)とコメントがあったように、会場と舞台が一体となってシンポジウムは盛り上がりました。
「盛岡に来るたびに、帰りの新幹線の駅の売店で冷麺を買っていくのが楽しみ」と話をしていた箭内さん。新幹線の東京駅では、ちゃんとおみやげの冷麺を持っていました。
第3回「Culture NIPPONシンポジウム 中国・四国大会」(会場は、徳島県立21世紀館 イベントホール)は、1月20日(日)、そして2月9日(土)には第4回東京大会(東京都江東区・ティアラこうとう江東公会堂大ホール)が行なわれます。詳細は、Culture NIPPON シンポジウム公式サイト(https://culture-nippon-s.com/)を、ご覧ください。
【Culture NIPPON シンポジウム2018関連記事】
※文学が繋ぐ人と人~Culture NIPPON シンポジウム 東京大会【参加者募集のお知らせ】
※文化庁主催「Culture NIPPON シンポジウム2018」京都大会が行なわれました
※文化庁主催「Culture NIPPON シンポジウム2018」東北大会が行なわれました
※文化庁主催「Culture NIPPON シンポジウム2018」中国・四国大会が行なわれました
※文化庁主催「Culture NIPPON シンポジウム2018」東京大会が行なわれました