夕刊サライは本誌では読めないプレミアムエッセイを、月~金の毎夕17:00に更新しています。水曜日は「クルマ」をテーマに、CRAZY KEN BANDの横山剣さんが執筆します。
文/横山剣(CRAZY KEN BAND)
「東洋一のサウンドクリエイター」横山剣です。ポニーカーと言えば、「ムスタング」。そう言い切っても多くの方に賛同していただけるのではないでしょうか? 実際には1960年代、アメリカで人口の最大ボリュームを占める“戦後生まれの若者”が免許をとる世代となり、そのニーズに応えるために生まれた「プリムス・バラクーダ」や「シボレー カマロ」なども含め、若者向けのクルマを総称してポニーカーと呼んだそうです。でもその中で圧倒的に存在感の強い「ムスタング」。近年では「マスタング」と表記されることが多いですが、僕はやはり「ムスタング」という響きのほうが好きですね。
「ムスタング」は当時フォードのボトムラインを支えていた、平凡なコンパクトカーである「ファルコン」のシャシーに、スポーティーでスタイリッシュなボディを着せた世界初のスペシャルティカーでもありました。手に入れやすい価格でありながら、スポーティーなスタイルはターゲットである若者にだけでなく、当時多くのアメリカ人の心を掴んだのでしょう、「ムスタング」は1964年のデビューと同時に爆発的にヒットしました。
第4回「トヨタ セリカ」でも触れましたが、「ムスタング」はスペシャルティカーという発想やフルチョイスシステムなど、その後の日本車にも大きな影響を与えました。
「ムスタング」との出会いは僕がクルマに目覚めた5歳のころにさかのぼります。横浜の本牧でアメリカ人が乗っていたクルマ。魂を感じるデザインで、見た瞬間にパワーを感じたクルマ。それが「ムスタング」でした。その後、再び「ムスタング」を意識するようになったのは、小学校3年か4年の頃。テレビの昼の洋画劇場で放映していたクロード・ルルーシュ監督の名作『男と女』を偶然見たんです。作中ではレースとラリーの両刀遣いという設定の主人公が、ラリー仕様の「アイボリーのハードトップ」と「街乗り用の赤いコンバーチブル」2台の1965年型「ムスタング」に乗っているんです。とくに雪と氷のモンテカルロラリーや、どんよりした冬景色のドーヴィルを走り抜ける「アイボリーのハードトップ」の姿にシビれました。フォードGT40のテスト風景やルマン24時間などの実写映像も挿入されていて、ダバダバなフランシス・レイの音楽もおしゃれで、子供ながらに画面に釘付けになりました。
当時は知る由もなかったのですが、あの映画における「ムスタング」は1950年代のモダンジャズなどと同じく、「アメリカかぶれのフランス」のアイコンでもあるんですね。だからクルマ自体のカッコよさに加え、「フランスで見るアメ車の色気」のようなものを感じさせるんです。
実車との出会いは「クールス」のスタッフになった10代後半。リーダーである佐藤秀光さんが、『男と女』と同じ1965年型のブルーメタリックのハードトップに乗っているのを見て憧れが再燃しました。それから10年ほど経った1988年か89年にようやく手に入れたんですが、これがどうしようもないほどひどい代物で……。すぐに返品してしまいました。
そんな苦い経験を経て、2002年に再び1965年型「ムスタング」に出会いました。当時僕は「白いクラウン」のキャッチコピーで知られる3代目MS50型「クラウン」に乗っていたのですが、愛知県で旧車ショップを営む友人に、289(4.7リッター)エンジンを積んだ「ムスタング・ハードトップGT」との交換を持ちかけたのです。「クラウン」もかなり気に入っていたものの、「ムスタング」の誘惑には抗えませんでした。ただし色は真っ赤。ちょっと迷いましたが、ブラジルのシンガーソングライター、マルコス・ヴァーリの『血の色のムスタング』というイカした曲があることから、赤もいいかなと思い直したのです。
僕にとって「ムスタング」はヒットメーカーでもあるんです。クレイジーケンバンドのナンバー『GT』で「血の色のGT」としてアルバム/シングルのジャケットやPVにも登場しています。そもそもこの曲は「ムスタング」を買った直後、第三京浜を走行中にメロディが浮かんだんです。もう1曲、車内で生まれたのが、TVドラマのオープニング曲になりヒットした『タイガー&ドラゴン』。いくつかトンネルが続く、国道16号の田浦(横須賀市)近辺を走っているときにメロディが突然下りてきて、そのまま一筆書きのように完結しました。こういうことはめったにないんですが、「ムスタング」がもたらした高揚感のなせる業だったのかもしれません。
「ムスタング」でひとつだけ困ったのが、雨降りなど湿度が高い日にハンドルを握った手がひどく臭うこと。プラットフォームを共有する兄弟車の「マーキュリー・クーガーXR-7」に乗る友人も同じ症状を訴えていたので、樹脂の劣化による「臭いハンドル」は、当時のフォード車共通の欠点なのかもしれません(苦笑)。それでも「ムスタング」は手を掛けたくなる魅力的なクルマでした。
数年後、やはり「初恋のアイボリー」が忘れられず、思い切って塗り替えることにしました。同時にエンジンやサスペンションをアップデートし、状態も非常に良くなりました。その後、僕と「ムスタング」の運命に変化が起きるのです。2009年にリリースしたシングル『ガールフレンド』。この曲のPVに「アイボリーのムスタング」が登場するのですが、PVに出演してくれたモデルのヨンアちゃんを担当したヘアメイクさんが僕の「ムスタング」に一目惚れ。ちょうど僕の心が次の愛車となる「シボレー・ノバ」に傾いていたこともあり、新しい買い手になってもらうことになったのです。
いざ「ムスタング」が去ってみると、寂しくないといったら嘘になります。なにせ思い出がたくさん詰まったクルマだったので。1965年型「ムスタング」は、僕がイメージする「横分けハンサム」な世界を体現したクルマでもありました。ポニーカーとしてアメリカで若者向けに作られたクルマに、人もクルマも歴史を経てオトナになって、いまの時代にまた乗るってのもカッコいいんじゃないかと思うのです。だから機会があれば、ぜひもう一度乗りたいですね。そう考えると、とてもワクワクするのです。
横山剣(CRAZY KEN BAND)
1960年生まれ。横浜出身。81年にクールスR.C.のヴォーカリストとしてデビュー。その後さまざまなバンド遍歴を経て、97年にクレイジーケンバンドを発足。今年クレイジーケンバンドはデビュー20周年を迎え、8月1日(水)には3年ぶりとなるオリジナルアルバム「GOING TO A GO-GO」をリリース予定。9月24日(月・祝)には、横浜アリーナでデビュー20周年記念ライブも行われる。http://www.crazykenband.com