
ライターI(以下I):『豊臣兄弟!』第6回は、前週の第5回から始まった織田信長(演・小栗旬)による美濃攻略戦線の「大沢次郎左衛門調略の段」になります。鵜沼城主大沢次郎左衛門を演じるのは名バイプレーヤーとして定評のある松尾諭さん。さすがのたたずまいです。
編集者A(以下A):このエピソードの元ネタは、小瀬甫庵(ほあん)の『太閤記』に記されているものです。こちらは岩波文庫になっているので、在庫があれば気軽に読めるようになっています。
濃州宇留間城主は、大澤次郎左衛門尉と云しを、秀吉調略を以て御味方となし、其旨十二月十日、信長公へ注進有しかば、我勇気の程に怖るる所にはあらじ。其方調略の長ずる所に在とて、御気色あり。
(美濃のうるま城主に大沢次郎左衛門は秀吉の調略で味方になりました。秀吉はそのことを12月12日に信長に報告しました。信長は、自分の勇気を恐れたのではなく、秀吉の調略がうまくいったことだと、機嫌がよかった)
という感じの物語です。その後に、秀吉が年頭の信長への挨拶に大沢次郎左衛門を同行したものの、信長は、「大沢は剛の者なれば、心変わりする可能性がある」と殺害するべきと主張します。これに対して秀吉は、「敵方の調略は大沢が初めて。もしこの大沢を殺してしまえば、今後寝返るものはいなくなる」旨、信長に言上したものの、信長は許さなかったと記述されます。
I:大筋は、『豊臣兄弟!』でも踏襲されているのですね。
A:ちなみに、1981年の『おんな太閤記』では、大沢基康(演・横森久)という名前で登場していて、信長(演・藤岡弘/現・藤岡弘、)が自ら斬ってしまう勢いで殺害を主張していたのが印象的です。小瀬甫庵の『太閤記』で秀吉が語っているような内容は、柴田勝家(演・近藤洋介)の台詞になっていました(笑)。
I:『太閤記』にはそのように記されているわけですが、『豊臣兄弟!』では、信長のもとに赴いた大沢次郎左衛門の荷物のなかに「苦無(くない=現代のナイフのような武器)」が隠されていて、そのことで、大沢の「寝返りは虚偽」との疑惑がもちあがります。小一郎(演・仲野太賀)が奔走して、その苦無を仕込んだのが佐々成政(演・白洲迅)ということまで突き止めます。
A:ところが、それを指示していたのが、信長という衝撃的なストーリー。でも着地点は、『太閤記』と大差ないというアレンジになりました。小瀬甫庵の『太閤記』は、このエピソードの後に「『史記』に曰く」として「人は信をもって立つ」と教訓めいた話を差し込んできます。『豊臣兄弟!』の流れも「人を信じる心」に着地していますから、このあたりは見事に小瀬甫庵の『太閤記』をトレースしているということになります。
I:自分たちに寝返るように調略しながら、「寝返ったら殺してしまえ」では、信長もひどい男ですよね。
A:まあ、「殺してしまえホトトギス」の信長ですからね。信長の人物像を象徴するようなエピソードでもあるのですが、「人は信をもって立つ」という教訓めいた話を盛り込んでこられると、なんだか「作り話」のような感じがしないでもないですね。
I:当時は、「武士道」というものが確立されていませんから、いかに主君といえども敗色濃厚ということであれば、寝返ったとしても文句はいえないですしね。
A:なんか、実は、秀吉の調略に対して、意外と簡単に応じたのかもしれないよな、って思ったりもします。「金を積んだらあっさり落ちた」とか。秀吉が苦労して調略を果たしたって方が「物語」にはなりますからね。
I:そのあたり、秀吉の「宣伝工作」というのは巧妙ですからね。

信長の配下になっていた道三末子
A:という話をしていて、ちょっと思いついたのですが、信長の美濃攻略についての功績について、『太閤記』などは、秀吉による調略の成果ということが語られるのですが、なんだか別の視座があるのではないかと思ったりするのです。2020年の『麒麟がくる』のときにも触れているのですが、美濃の斎藤道三から信長には「美濃を譲る」という「国譲り状」がおくられていたと伝えられています。1973年の大河ドラマ『国盗り物語』でも、斎藤道三(演・平幹二朗)が信長(演・高橋英樹)に「譲り状」をしたためる場面が描かれました。
I:『完本 信長全史』(小学館刊)には、大阪城天守閣所蔵の「国譲り状」が掲載されていますね。「美濃国の地、終に織田上総介の存分に任すべきの条、譲状信長に対し送り遣わし候事」というやつですね。
A:この「国譲り状」を信長のもとに持っていったのは、道三末子の斎藤利治といわれています。信長関連のドラマにあまり登場することはないのですが、斎藤利治は信長の家臣となり、多くの合戦に従軍した後、信長嫡男信忠の側近になります。
I:『豊臣兄弟!』の第5回では麿赤兒さん演じる斎藤道三が話題になりましたが、斎藤道三と大沢次郎左衛門のわずかなやり取りからも、斎藤家臣団が道三にシンパシーを感じていたのであれば、道三末子の利治を擁する信長に与したい欲求は意外と強かったのではないかと思ったりしますよね。
A:この斎藤利治、本能寺の変で信忠とともに討ち死にするわけです。このあたりの『太閤記』の物語はすべて、信長が死に、斎藤利治が死に、秀吉の天下成った後に編まれたものですからね。
同母兄弟を討つということ

I:信長による弟信勝(演・中沢元紀)殺害の場面が、回想という形で印象的に描かれました。なんだか、涙を誘う、渾身の場面になりました。第4回でもちらッと「え? これだけ?」という登場でしたが、第6回ではこんなに尺をとってくれるとは!
A:幼いころは仲の良かった兄弟が、それぞれの家臣との関係もあったりして疎遠になり、争いになる。戦国の悲劇ですね。信長には兄弟がたくさんいますが、信勝のように対立した兄弟はほかにはいません。2012年の『江 姫たちの戦国』で浅井三姉妹を保護した織田信包(のぶかね/演・小林隆)は、後に信長嫡男信忠、次男信雄の次の序列で遇されたともいいます。誤射で亡くなった秀孝や、浅井朝倉勢との戦いや一向一揆との戦いで討ち死にした信広、信治、信興、秀成らの兄弟の死を嘆き悲しんだともいいます。意外と信長の身内への愛情は濃いですからね。信勝を討ったことは内心忸怩たるものがあったと思います。
I:大河ドラマレジェンド俳優緒形拳さんの孫にあたる緒形敦さんが、『豊臣兄弟!』では織田信勝の嫡男信澄を演じることになっていますが、信長は、信澄を厚遇していますからね。これも身内思いの発露ですよね。
A:歴史上、やむなく兄弟と争わなければならない宿命を背負う人物は多々います。例えば、源頼朝と源義経兄弟。平家打倒の戦いに功績のあった源義経は、兄である頼朝に討たれるわけです。さらに同じく粛清された範頼はいずれも頼朝の異母弟になります。頼朝には同母の希義(まれよし)という弟がいましたが、頼朝挙兵後まもなく配流されていた土佐で平家方に斬られました。頼朝は希義の菩提を厚く弔ったそうです。
I:異母兄弟と同母兄弟では、思いが異なるのでしょうね。
A:大河ドラマでいうと、1991年の『太平記』では、足利尊氏(演・真田広之)と直義(演・高嶋政伸)の兄弟による「観応の擾乱」が長尺で描かれました。最終的に尊氏が直義を毒殺するわけですが、この「足利兄弟」も同母兄弟なわけです。
I:同母にもかかわらず、お互い配下を従えて、雌雄を決する形になりました。
A:足利兄弟の争いは、南北に分かれていた朝廷の関係を複雑化することになるなど、国政に重要な影響を与えました。
I:信長と信勝の同母兄弟の争い当時は、尾張統一前の織田家内部の争いということになります。劇中では、同母兄弟設定で仲が良い「藤吉郎・小一郎兄弟」との対比のような形で描かれますが、信長も「身内愛」の感情が強い人物だったことを知ってほしいですね。
A:そして、大沢次郎左衛門の調略に続いて、次週は、墨俣城のエピソードの登場です。
『太閤記もの』の「三つ葉葵の印篭」のような存在のエピソードになります。
I:いったいどんな描き方をしてくるのでしょうか。

●編集者A:書籍編集者。かつて編集した『完本 信長全史』(「ビジュアル版逆説の日本史」)を編集した際に、信長関連の史跡を徹底取材。本業では、11月10日刊行の『後世に伝えたい歴史と文化 鶴岡八幡宮宮司の鎌倉案内』を担当。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。猫が好き。愛知県出身なので『豊臣兄弟!』を楽しみにしている。神職資格を持っている。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり











