文・石川真禧照(自動車生活探険家)




1960年から70年代にかけてのロータスは英国を代表するスポーツカーメーカーとして知られ、日本でも漫画の主人公の愛車として登場するほど有名だった。その後もスポーツカーを中心に高級車を生産していたが、2017年に中国の吉利(ジーリー)が筆頭株主になり、電気自動車かつ高級大型車路線に方向転換。スポーツカーだけでなく、SUVや5ドアサルーンなどを次々と発表した。しかし、それまでのロータスの路線とはあまりにもかけ離れていたので、ロータスファンもとまどった。



幸いロータスは英国のサセックス州ヘゼルにも生産部門と開発部が残っていたので、そこからエンジンを搭載したコンパクトスポーツカーを造ることができた。それがロータス・エミーラ。エンジンを車体の中心に置いた2人乗りのスポーツカーはロータスファンの注目を集め、販売も順調だった。ロータス最後のエンジン車になると言われていたのだが、最近になって風向きが変わった。本社のある中国では高級大型EVの人気はあったが、世界市場での人気は低迷。吉利もついに、2028年に予定していたロータス車の全電動化を断念したのだ。
さっそく、エミーラも手直しを受け、新たにターボSEというモデルの販売を開始。日本にも上陸してきた。

ロータス初のミッドシップライトウエイトスポーツ。軽量、安価なスポーツカーとして1966年から75年まで生産された。日本では漫画「サーキットの狼」で取り上げられ有名になった。
ロータスは1966年に、ヨーロッパという小型軽量スポーツカー(ライトウエイトスポーツ)を発売し、人気モデルになったが、エミーラはその流れを汲むガソリンターボエンジンのミッドシップ2人乗りスポーツカーだ。



エンジンはロータスと提携しているドイツ・メルセデスAMGの直列4気筒、2Lターボをロータスが手を入れ、独自の性能に仕立て、運転席と後部荷室との間に搭載した。
車高が低く、さらに車幅の広いエミーラだが、大きく開くドアで乗り降りに苦労はしない。センターコンソールにあるカバーを開け、スタートボタンを押す。こういう儀式がスポーツカーを運転するという気分を高揚させる。


座席に座ると、前方視界が広いことに気付く。細かい操作指導を受けずに試乗したのだが、まず運転のしやすさに驚いた。それは、2021年で生産中止になってしまったライトウエイトスポーツ、エリーゼに通じるものを感じさせた。



1995年に登場した2シーターミッドシップスポーツ。接着剤で組み立てたシャーシにFRP製ボディを組み合わせ、モデルチェンジを繰り返しながら2021年まで生産された。スタイリングイメージは初代から一貫していた。
エミーラの車幅は約1.9mだが、ハンドルを握り走り出すと、前輪のフェンダーの峰が確認でき、運転席との一体感があるので車幅をあまり感じさせない。加速をしていくと、運転席の後ろに搭載されているターボエンジンのタービン音や排気音が耳もとで聞こえる。音もなく加速するEVスポーツも楽しいが、メカニカルな音が響くのも小気味良さがある。



試乗・撮影車のスポーツサスペンションは、乗り心地を重視したツーリングサスだったが、それでも街中では硬さを感じる。ハンドルの切りこみは重めで、戻しが少なく、レーシングカー的な仕様だった。でも、これがロータスらしさだろう。

2026年もエンジン車の販売は行われるようだが、気になるのは、中国本社がEV主導の販売戦略を考えているときに、日本市場のことをどこまで考えエンジン車の供給を続けてくれるかだ。
エミーラがロータス最後のエンジン搭載スポーツカーにならないことを祈りたい。

ロータス/エミーラ ターボSE
全長×全幅×全高 | 4412×1895×1225mm |
ホイールベース | 2575mm |
車両重量 | 1457kg |
エンジン | 直列4気筒ガソリンターボ/1991cc |
最高出力 | 406ps/7200rpm |
最大トルク | 480Nm/3000~5500rpm |
駆動形式 | 後輪駆動 |
燃料消費量 | 未公表 |
使用燃料/容量 | 無鉛プレミアムガソリン/ 60 L |
ミッション形式 | 8速デュアルクラッチAT |
サスペンション形式 | 前:ダブルウィッシュボーン/後:ダブルウィッシュボーン |
ブレーキ形式 | 前:2ピースドリルドベンチレーテッドディスク/後:2ピースクロスドリルドベンチレーテッドディスク |
乗員定員 | 2名 |
車両価格(税込) | 1886万5000円 |
問い合わせ先 | www.lotuscars.com/ja |

文/石川真禧照(自動車生活探険家)
20代で自動車評論の世界に入り、年間200台以上の自動車に試乗すること半世紀。日常生活と自動車との関わりを考えた評価、評論を得意とする。
撮影/萩原文博