母親を一人にしてはいけない。母親のことを一番に考えるように
祖父母は外出することが多かったものの、母親はずっと家で過ごすことがほとんど。そんな姿を見て、いつからか母親を一人ぼっちにすることに罪悪感を覚えていったそう。
「祖父母も私の記憶ではすでに働いていなかったんですが、祖父は近所のおじさんたちと毎日囲碁をやりに出かけていて、祖母も児童施設などにボランティアによく出かけていました。だけど母親だけはどこかに一人で出かけることはほぼなく、学校から帰ったらいつも家にいた印象です。
学校から帰った後は、母が用意してくれたお菓子を食べながら、その日の学校の話をする。姉や妹はお菓子を食べ終わったらすぐに友達と遊びに出かけることが多かったんですが、私は母親が一人ぼっちになってしまうのがなぜか申し訳なくて。あまり遊びにも行かずにずっと母親と一緒に過ごしていましたね」
躾に関して厳しさは皆無。母親はとにかく心配性で常に距離が近かったと言います。
「姉妹の中で私が一番心配されていましたね。私は昔から注意力が散漫というか、よく忘れ物や失くし物をして、学校まで届けてもらうこともしばしば。それに時間管理も苦手で……。母親の手助けがなかったら学校へ時間通りにちゃんと行くこともできなかった気がします(苦笑)。
いつからそうなっていたのかは覚えていないんですが、晩御飯の準備をいつも手伝うようになっていて、それは材料の買い物から始まるんです。最初は姉妹全員の4人で買い物に出かけていたのに、姉が抜け、妹が抜け、気づいたら母親と2人でしたね。でも、小学生の頃から手伝っていたのに、刃物を持ったり、揚げ物の許可がでたのは中学生になってから。小さい頃は皮むき器を駆使して必死に料理を手伝っていましたね」
姉が反抗期を迎えても、妹が家よりも友人を優先するようになっていった時も、美穂さんは母親と常に一緒。その頃から母親はあることを口癖のように言うようになっていったとか。
「『美穂ちゃんには幸せな結婚をしてほしい』と言うようになっていました。高校生の時からは晩御飯は料理教室のように、一緒に作るというより指導されているようになり、まるで花嫁修業のように家事をするようになっていきましたね。でもそれは普通のことで、特に違和感はありませんでした。それよりも、”結婚”というフレーズを聞くたびに、平気なフリをしているけど、母親は離婚の傷がまだまだ癒えていないように思えて。それほどに辛い行為だったら、離婚は絶対にしてはいけないことなんだと思うようになっていきました」
母親が喜ぶような、幸せな結婚をする。その夢へ真っすぐに突き進んでいた美穂さんでしたが、結婚後に夫はモラハラ男の本性を現し始め……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。