文/後藤雅洋

第41号「フュージョン・ジャズ・ヴォーカル」のビル・ウィザースが歌う「ソウル・シャドウズ」の解説で、私がジャズ・ファンになる前はソウル・ミュージック・ファンであることをお話ししました。1970年代後半、ジョン・トラボルタ主演による映画『サタデー・ナイト・フィーバー』をきっかけとして日本にディスコ・ブームが起こるはるか昔の60年代後半、当時霞町と呼ばれていた東京・西麻布界隈のディスコによく通ったものでした。

こうした場所でかかる音楽は、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、そして今回(第48号「ソウル・ジャズ・ヴォーカル」)登場するシュープリームスやマーヴィン・ゲイといった黒人ミュージシャンによるソウル・ミュージックでした。

この記事は、第48号「ソウル・ジャズ・ヴォーカル」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)からの転載です。

もちろん「洋楽」を聴いたのはソウル・ミュージックが初めてではなく、それ以前からコニー・フランシスやポール・アンカなどによるアメリカン・ポップスと呼ばれた白人音楽も聴いていましたが、ソウル・ミュージックには彼ら白人ポップスとはひと味違うサムシングが感じられたのでした。なんというのか「味が濃い」のですね。こうした機微に関わりがあるのでしょうか、洋楽ファンの中でもブラック・ミュージック・マニアのほうがちょっと「カッコいい」という風潮があったようにも思います。

こうした風潮を敏感に感じ取る思春期特有の背伸び感覚も手伝い、本家黒人音楽たるジャズだって一応聴いてはいたのですが、まだ10代の私には、ちょっと難しく感じられたのも事実でした。そんな中、ソウル・ミュージックは「わかりやすい黒人音楽」として素直に私の気持ちに入ってきたのです。

それを裏付けるような体験を、私は少し経ってからしました。70年代初頭、初めてアメリカに行ったときのことです。ロサンゼルスの街中を、アフロ・ヘアの派手な身なりの黒人青年が、大きな日本製と思しきラジカセをこれ見よがしに持ち歩いていたのですが、なんとそこから流れ出ていたのはソウル・ミュージックだったのです。

好奇心旺盛だった私は、見知らぬ青年に「ジャズは聴かないのか?」と尋ねると、「俺たちはソウルしか聴かない」とのたまうたのです。まあ、たまたまその青年の趣味だったのかもしれませんが、ジャズ=黒人音楽という刷り込みがあった私にとって、それはちょっとしたショックではあったのです。

そしてそれからまたずいぶん時を経て、アメリカの黒人音楽の歴史を辿ってみると、そのロスの青年の「趣味」は、わりあい黒人にとっては一般的なものだったということもわかってきたのです。つまり、日本人にとってわかりやすい黒人音楽は、黒人にとってもポピュラーな音楽で、それがソウル・ミュージックだったのです。

というわけで、今回はジャズ、ブルース、そしてソウル・ミュージックの原型であるR&B(リズム・アンド・ブルース)の関係と歴史をおさらいしてみようと思います。

黒人音楽の親戚関係

まず最初に確認しておきたいのは、今挙げた音楽ジャンルはすべて黒人音楽として「親戚関係」にあるということです。そして最初の重要なポイントは、親戚とはいっても、ひとりの祖先から枝分かれしたのではないというところです。ここは重要な点です。

ジャズとブルースは、ともにおおよそ19世紀の後半アメリカで生まれた黒人ミュージシャンを主体とした音楽ジャンルですが、両者は別々に誕生したと考えられているのです。ジャズの誕生については何度かお話ししましたが、南部の港湾都市、ニューオルリンズで、ラテン音楽などの影響も受けつつ、黒人と、クレオールと呼ばれた旧宗主国のフランス人と黒人の混血した人たちによって作られた音楽です。

他方、ブルースはアメリカ南部の小作農民などによって歌われた労働歌などから生まれた音楽で、その発生には白人のフォーク・ソングなどの影響も認められるようです。また、ジャズがどちらかというと黒人の中では恵まれた階層による都市の音楽であるのに対し、ブルースは相対的に貧困層だった田舎の農園労働者による音楽だという違いがあります。しかしともに黒人音楽であるということから相互に影響し合い、親戚関係を結んだ、ということなのですね。ですから、ブルースからジャズが生まれた、というような一本道の親子関係ではないのです。

また、ブルースというと、言い方は悪いのですが、薄汚れた格好をしたブルースマンがギター1本で渋く弾き語るというイメージが強いのですが、1920年代の初期のブルース界は「ブルースの女帝」などと呼ばれたベッシー・スミスやマー・レイニーなどの華やかな黒人女性ブルース・シンガーを大勢生み出し、バック・バンドもジャズ・ピアニストかジャズ・バンドがほとんどでした。彼女たちは踊りや歌を披露するボードヴィル・ショーの人気者で、間違いなくジャズ・ヴォーカルの祖先といえるでしょう。

他方、渋めおじさんブルースマンの系譜もあって、昔はこちらが本家で、華やかなボードヴィル・ショーの女性ブルース・シンガーはそれが興行化したものだという認識が一般的でしたが、近年になって一概にそうとも言いきれないという意見も出ているようです。おそらく両者は相互に影響し合っていたのでしょう。

R&Bの誕生、そしてソウルへ

1930年代、アメリカ中西部カンザス・シティから出てきたカウント・ベイシー楽団は、巨漢のブルース・シンガー、ジミー・ラッシングを擁する極め付きのノリのいいバンドでした。シンプルで切れのいいリズムに乗ってラッシングがシャウトし、バンドがスイングする。ジャズにブルースが取り入れられたのです。

ほかにも、粘っこさのあるフィーリングを醸しだすライオネル・ハンプトン楽団などそれぞれタイプこそ違え、都会的なサウンドに乗ったアーシー(土臭い)でブルージーな音楽が相次いで登場します。これらは南部から黒人労働者が大量に北部の工業地帯に移動し、彼らの好みに合わせた音楽がもてはやされたという背景も手伝っていたのです。こうした、30年代の“スイング・ジャズ”をより黒人的にした音楽は、“ジャンプ”と呼ばれました。そしてこの“ジャンプ”から“R&B”が生まれることになるのです。

“リズム・アンド・ブルース”という言葉は、音楽業界誌『ビルボード』が1943年ごろから使い始めました。そして48年、のちにレイ・チャールズやアレサ・フランクリンといった大物R&Bシンガーを擁するアトランティック・レコードのプロデューサーとなるジェリー・ウェクスラーが、黒人音楽ヒット・チャートのジャンル名として使い始めたのです。ですから当初この言葉は、ブルージーで粘っこくリズムを強調した都会的サウンドをもったヴォーカル、ぐらいのかなり幅広い意味で使われていました。しかし使い勝手がよかったのか短期間で定着し、現在に至るも使われています。

それでは“ソウル・ミュージック”という用語はいつごろから使われ始めたのかというと、やはり『ビルボード』が69年に黒人音楽部門のチャート名を「R&B」から「ソウル」に変えた事実を挙げるべきでしょう。私の記憶では、60年代半ばには“ソウル・ミュージック”と“R&B”が同じ意味で使われていたように思います。ちなみに『ビルボード』のチャート名はその後も変化を続け、82年に「ブラック」、90年にふたたび「R&B」、そして99年には「R&B/ヒップ・ホップ」と時代の空気を反映させたものとなっています。

ところでちょっと注意したいのは、これらのチャートは「黒人ミュージシャンのチャート」ではないのですね。では何のチャートかというと、黒人リスナーの音楽的好みを反映したチャートなのです。ですから、「R&B」のチャートに白人系のミュージシャンが登場したり、その逆に白人系リスナーの好みを反映した「ポピュラー・チャート」に黒人R&Bミュージシャンが登場したりする「クロスオーヴァー」という現象が、70年代初頭の音楽ジャンルとしての「クロスオーヴァー」が生まれるはるか以前に起きているのです。

融合音楽ロックンロール

この、1950年代以降少しずつ顕在化した聴取層とミュージシャン双方の人種的融合現象は、音楽史的に重要な出来事をもたらしました。“ロックンロール”の誕生です。黒人音楽“R&B”と白人音楽“カントリー&ウエスタン”の融合が、50年代半ばのエルヴィス・プレスリーの登場に象徴される“ロックンロール”の誕生に関わっているのですが、それにはこうした「聴取層」の融合が前提としてあったのです。

この聴取層の融合問題は“ロックンロール”だけではなく、“R&B”でも起こっていました。現に「ファンクの帝王」と呼ばれたジェームス・ブラウンやスティーヴィー・ワンダー、そしてシュープリームスなどのファンは必ずしも黒人聴衆に限られてはいなかったのです。これは最初に述べた「わかりやすい黒人音楽」は、白人や私たち日本人にとっても親しみやすいものだったからです。そして今回の「本筋」クロスオーヴァーの相手は、ジャズ・ヴォーカルでした。しかしソウル・ミュージックの歴史を知ってみれば、この融合はじつは「先祖返り」のようなもので、ソウル・シンガーにとってはさほど難しいことではないのです。それはナット・キング・コールが、さじ加減次第でポピュラーもジャズも見事に歌いこなせたことと同じなのですね。

ソウルの哀愁、嘆き節

それではこうした幅広い聴取層に支えられた“ソウル・ミュージック”の魅力とはなんでしょうか? まずは冒頭に述べたような「味の濃さ」を挙げるべきでしょう。ジェームス・ブラウンのシャウト(叫ぶ)唱法に代表される、「アクの強さ」と紙一重の味わいの濃さは、ブラック・ミュージックならではの魅力といえるでしょう。

そしてもうひとつの重要なポイントは哀愁感です。スティーヴィー・ワンダーの歌声が醸しだすそこはかとない哀感は、日本の歌謡曲とはひと味違った切なさの表現がじつに魅惑的です。これも純粋ジャズ・ヴォーカルとはずいぶん違っていて、ひとことで言って、もっと下世話なのですね。

この「下世話」の中身をたとえていうならば、ジャズ・ヴォーカルが表現する哀感が都会的で控えめだとしたら、ソウル・ミュージックが醸しだす哀愁感覚はより直接的で感情的なのです。このあたりが日本のファンにもソウル・ミュージックが愛好される理由であるように思います。これは本家ブルースがもつ黒人大衆の「嘆き節」の伝統を、ソウル・ミュージックは正しく伝えているからでしょう。

たとえ話を続けるなら、日本の歌謡曲がニュー・ミュージック化する過程で忘れられがちだった色濃い「演歌ムード」を、ソウル・ミュージックの歌手はジャズ・ヴォーカルに持ち込んでいるのですね。

そして思い出してほしいのは「ジャズ・ヴォーカルの定義」です。演歌とニュー・ミュージックではリズム感も曲想も異なっているので「歌い方」云々で両者の壁を越えるのは難しいものがありますが、ジャズはそれこそ「歌い方」だけでシャンソンだろうが映画主題歌だろうが「ジャズ・ヴォーカルとなってしまう」融通無碍が特徴でした。ですから誰だってジャズ・ヴォーカルは歌えるのです。

しかもソウル・ミュージシャンは黒人だけに、ジャズ的表現を自分の歌に取り入れるのはそれこそ「さじ加減次第」なので、不自然な感じはまったくありません。それにマーヴィン・ゲイなどはナット・キング・コールに捧げるアルバム(今号に「ネイチャー・ボーイ」収録)を作っているほどで、こうした面からもジャズとソウルはまさに「親戚音楽」なのです。ですからソウル・ミュージシャンが歌うジャズ・ヴォーカルは、従来私たちが知っている「ジャズ・ヴォーカル」がほとんど違和感なく、しかし不思議なほど味付けが色濃くなっているのですね。

そしてその味わいは、純粋ジャズ・ヴォーカリストでは出せない性質のもので、しかもそれぞれのソウル・シンガーならではの持ち味も味わえるという、「ジャズ的」な楽しみ方もできるでのです。ですから、一度ソウル・ミュージシャンの歌う色濃い「ジャズ・ヴォーカル」を聴くと、病みつきになること請けあいです。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

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この記事は、第48号「ソウル・ジャズ・ヴォーカル」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)からの転載です。

 

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