◎No.17:梅崎春生のカメラ
文/矢島裕紀彦
文壇酒徒番付で、故人ながら殊勲賞に推挙されるという異例の事態の当事者となったことから知れるように、梅崎春生(うめざき・はるお)はなかなかの酒豪。熊本五高在学中の10代終わりころから酒を覚え、戦中、戦後は怪しげなカストリ酒の「有刺鉄線」のような酔いに身を任せた。
50代での逝去も、死因は肝硬変。医師に止められていた酒を、家族の目を盗んで隠し飲み、酒と心中したような最期だった。
そんな梅崎春生は、眼鏡の奥、右の瞼に深い傷跡があった。敗戦間際、海軍に召集されていた鹿児島・坊津で、水割りにした燃料用アルコールをしたたかに飲み、酔って崖から滑落したのである。その瞼に傷のある目で、作家は人間世界を凝視した。現実の人間を見据え、観念論に流れず、作品に定着させていった。
鹿児島のかごしま近代文学館に現存する春生愛用のカメラは、ヤシカフレックス二眼レフ。現実を厳しく見つめるリアリズムを主唱した写真家・土門拳に選んでもらったもの、と伝えられる。黒色のボディから、にょきり生え出たような二つのレンズは、作家の重厚な眼光を感じさせる。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。『サライ.jp』で「日めくり漱石」「漱石と明治人のことば」を連載した。
写真/高橋昌嗣
1967年桑沢デザイン研究所 グラフィックデザイン科卒業後、フリーカメラマンとなる。雑誌のグラビア、書籍の表紙などエディトリアルを中心に従事する。
※この記事は、雑誌『文藝春秋』の1997年7月号から2001年9月号に連載され、2001年9月に単行本化された『文士の逸品』を基に、出版元の文藝春秋の了解・協力を得て再掲載したものです。