【サライ・インタビュー】

藤戸竹喜さん
(ふじと・たけき、木彫家)

――木彫りの熊でアイヌ文化を伝承

「彫るのではなく、彫らせてもらう。どんな小さな作品も、まず神への祈りを捧げます」

※この記事は『サライ』本誌2018年1月号より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文/鹿熊 勤 撮影/宮地 工)

──今にも唸り声をあげそうな熊です。

「こういう彫り方は毛彫りといいます。細かい毛筋まで表現する技法で、少しでも“逃げ”や“ごまかし”があるとバランスが崩れてしまいます。例えば、熊にも人間のつむじのような毛の流れがあります。それを知るため……というより、ただ動物好きだっただけですが、私は若いときに熊(羆)を飼っていたこともあります。そうした経験も生きています」

──木彫り熊は素朴なものと思っていました。

「素朴なものはハツリ彫りとか面彫りと呼ばれるもので、ひと息で削ったような作風が特徴です。一定の型はありますが、職人それぞれが工夫を凝らし、手に取ってもらう努力をしてきたのが熊彫りです。私が得意とする毛彫りも、時代ごとに雰囲気が異なります」

──木彫り熊は北海道を代表する民芸です。

「ひと口に木彫り熊といわれますが、実はルーツがふたつあります。ひとつは、道南の八雲町に入植した和人が大正の終わり頃に始めた木彫り。八雲は尾張藩(現・愛知県)の武士だった人たちが開拓に入った土地です。大正12年(1923)、尾張徳川家19代当主の徳川義親さんが、外遊先のスイスで民芸品として売られていた木彫りの熊を買って帰りました。これを手本に八雲の農民に彫刻を奨励したというもので、収入が途絶える冬の職業支援だったそうです。

もうひとつのルーツは、アイヌ民族がマキリと呼ぶ小刀で表現してきた伝統的な彫刻です。アイヌの男性が被るサバンベという冠の中央には、木彫りの熊の顔がついています。イクパスイという酒を扱う祭具にも、よく熊が彫られている。明治以降盛んになった和人との交流の中で、この民族彫刻が民芸品になっていったのです。アイヌの末裔である私の技術的な源流は、後者です」

──そもそも、なぜ熊なのでしょう。

「アイヌはさまざまな動物をカムイ、つまり神の化身として崇めてきました。サルルン・カムイは丹頂で、湿原の神。コタン・コロ・カムイは島梟のことで、集落を守る神です。そして、カムイとひと言でいう場合は羆を指します。数ある神の化身の中でも熊は特別な存在です。アイヌの習俗を代表するイヨマンテも、神である熊の魂を神の国へ送り帰す儀式です。網走市にあるモヨロ貝塚など先史時代の遺跡からも、海獣の牙を彫って作った熊の像が出土しています。熊は北方民族にとって、太古から神なのです」

──お父上も腕のよい職人だったとか。

「父方の実家は旭川市の近文コタン(アイヌ集落)にありました。曾祖父の川上コヌサはそこの酋長として一目置かれる存在でした。父は、コタンでの暮らしの中でアイヌ伝統の木彫りの基本を身につけました。旭川は陸軍の第七師団が置かれ、早くから観光地としても開けていました。明治政府は、木の伐採や鮭の捕獲の禁止といった一方的な決まりをアイヌに押し付けましたが、そうした抑圧者の象徴が第七師団でした」

──さぞ不満が燻ぶっていたことでしょう。

「ですから、軍の新しい高官が赴任してきたときは、コタンの酋長を表敬訪問して融和を図るのが慣例でした。そのとき珍しがられたのが、彫刻や刺繍といったアイヌ芸術だったのです。軍人が勇ましさに通じる熊の彫り物を欲しがったことから次第に独立した彫像となり、土産物になっていきました」

──商品化の始まりですね。

「父は既にコタンに5軒ほどできていた木彫り店の仕事を面白いと感じたようです。若い仲間とあれこれ議論しながら、新しい技法にも挑戦しました。マキリぐらいしかなかった時代の彫刻は素朴でしたが、大工鑿(のみ)や彫刻刀が手に入るようになると、毛彫りのような精巧な彫りもできるようになりました。

技法の広がりと同時に、姿形も多様化していきました。私が子供の頃までは四つん這い姿の這い熊が基本でしたが、父親たち旭川の熊彫り職人は、鮭を咥えた“食い熊”、後ろ足で立ち上がった“立ち熊”といった、変わり熊と呼ばれるものを考案していきました」

──最近、木彫り熊の人気はどうですか。

「悩ましい問題です。売れていませんし、もうよいものが少ないのです。作り手そのものがほとんどいません。土産物として好まれなくなってきた理由としては、住宅事情の変化で飾る場所がないこと、生鮮品やお菓子の人気が高まっていることなどが挙げられています。しかし私は、売れたときに胡坐をかいていたことがいちばんの原因だと思っています。高度経済成長期、観光の絶頂期を迎えた北海道では、機械彫りの安い熊や海外製の粗悪な熊の木彫りが大量に出回りました。ここが、分かれ道だったように感じます」

──彫刻にこもる意味が伝わらなくなった。

「私たちが彫ってきた熊は、アイヌ民族の心そのものです。私はどんな小さな作品を彫るときも、必ず原木に対してアイヌ伝統の儀式であるカムイノミ(神への祈り)を捧げてきました。彫るのではなく、彫らせてもらうという気持ちで今も向き合っています」

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