──熊以外の作品も手がけておられます。
「人物像も作ります。旧ソ連時代には、クレムリンに頼まれてレーニンの胸像を彫りました。生誕100周年のときでした。さまざまな彫刻に挑戦するようになったきっかけは、自分の民芸品店を出すときお世話になった前田一歩園(明治39年に官僚の前田正名が始めた、未開だった阿寒湖周辺の農林事業体)3代目の前田光子さんから、ご主人の十三回忌に合わせて地元の寺に観音像を奉納したいと頼まれたことです。
私はそれまで熊をはじめとする動物しか彫ったことがありませんでした。父の背中を見てきただけで、正式な彫刻の勉強もしていません。もちろん、仏教も仏像のこともわからない。でも、声を掛けていただいた気持ちに応えたい一心で、京都や奈良のお寺を訪ね、仏像を見て回りました。仏像に込められている思いや願いを、無学の自分なりに読み解いてみようと思ったのです」
──わかったことはなんですか。
「後世への願いなのだろうな、ということでした。アイヌの彫刻に込められたものは自然への感謝ですが、未来にその思いを伝えていく伝承方法でもあります。観音像の意味も、そう変わるものではないはずだと。
私は、心が落ち着く真夜中に仕事をするのですが、カンカンと音を立てていると、よく電話がかかってきました。そしてこう言われました。“熊彫りのお前に仏像なんか作れっこないべや”。冷やかし、嫌がらせですね。
その度に“絶対彫り上げる”と心に誓いました。その間、ほかの仕事は一切しませんでした。米も買えなくなるほど困窮しましたが、無事、地元の正徳寺に奉納し、盛大な開眼供養が執り行なわれました。昭和44年です」
──連作的な彫刻もありますね。
「アイヌの伝承からヒントを得た創作なのですが、動物とアイヌと和人の話です。12の山場を彫刻で表現したものです。登場するのは絶滅してしまった蝦夷狼。狼もアイヌにとっては偉大なるカムイでした。連作は完結までかなり時間を要するので、これから新作を手がけるのはさすがに難しいですね」
──健康状態はいかがですか。
「もう、ぼろぼろです(笑)。腰は3回も手術して、脊椎にボルトが入っています。両肩も手術をしまして、今も両肩の腱の一部が切れたままで手が上がりません。無理に振りかざすと痛みが走ります。彫刻は力のいる仕事なので困っています。一昨日も痛み止めの注射を打ってきたところです。
歳をとったせいか、最近は先に死んでいった人たちのことをよく考えます。祖母、父親、そして先に旅立ってしまった私のふたりの子供、友人……。心の準備に入っているのかな。でも不思議と焦りはありません。今はまだ、作りたいものへの気持ちが強いです」
──どんな最期を迎えたいとお思いですか。
「父は熊を彫っている最中に脳溢血で倒れて意識がなくなり、間もなく息を引き取りました。どうせ死ぬなら、仕事場でというのも悪くないかなと思います。突然だと周りは驚くだろうけど、迷惑はそれほどかからないでしょう。理想をいえば、最後のひと削りを終えた直後がよいのだけどねえ」(笑)
●藤戸竹喜(ふじと・たけき)
昭和9年、北海道生まれ。木彫り熊の名人といわれた父・竹夫の下で11歳から職人修業。昭和39年、阿寒湖畔に民芸品店『熊の家』を構え、熊彫り以外の個人作品にも精力的に取り組む。北海道の野生動物やアイヌの老人像など力強い木彫表現に定評。北海道文化賞受賞。文化庁地域文化功労者。米国スミソニアン国立自然史博物館の北方民族展にも出品。写真集に『熊を彫る人』(小学館)がある。
【藤戸竹喜さんの本】
『熊を彫る人』
(写真/在本彌生、文/村岡俊也、小学館)
【展覧会案内】
アイヌ工芸品展「現れよ。森羅の生命 木彫家 藤戸竹喜の世界」
■会期:2018年1月11日(木)~3月13日(火)
■場所:国立民族学博物館 本館企画展示場
大阪府吹田市千里万博公園10番1号
■開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
■休館日:水曜日
■Webサイトはこちら
※この記事は『サライ』本誌2018年1月号より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文/鹿熊 勤 撮影/宮地 工)