サライ世代の範とすべき人生の先達の生き様を毎号お伝えしている『サライ』本誌連載「サライ・インタビュー」。2018年新春企画として、昨年本誌に掲載されたインタビューの数々を紹介する。

中村桂子さん
(なかむら・けいこ、生命誌研究者・JT生命誌研究館館長)

――生命誌を提唱し、人間も自然の一部であることを考える

「人間はどこへ向かうのか。科学には、その問いかけに答える責任があります」

撮影/宮地 工

※この記事は『サライ』本誌2017年1月号より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文/鹿熊 勤 撮影/宮地 工)

──生命誌。いささか耳慣れない学問です。

「土台にあるのは命の仕組みを解明する生命科学です。私は化学を学んでいた大学3年生のとき、恩師から日本に紹介されて間もないDNAのらせん構造モデルを見せていただきました。この感動がきっかけで研究の道へ進みましたが、生命科学という言葉はまだなく、分子生物学と呼ばれていました。

DNAの研究はその後飛躍的に進み、生命の中に存在する驚くべき機構を次々と私たちに示してくれました。しかし、私たち人間がどこから来て、これからどこへ向かっていくのかという根源的な問いに、科学は答えを示せているのだろうかというもどかしさが、常に私の心の中にありました」

──その答えを自分なりに導き出したいと。

「30歳から35歳まで、私は育児に専念していました。〝そろそろ研究に戻ってもいいんじゃないか〟と恩師に誘われ、三菱化学生命科学研究所に入りました。1971年、35歳のときです。生命科学という言葉を掲げた日本で最初の機関ということで注目を集めましたが、まだ専門といえる研究者は少なく、問い合わせがあると私が引っ張り出されました。

お陰で、学界から経済界の方々まで幅広いお付き合いができました。当時は政府の科学技術の委員会に若い女性研究者が出ること自体が珍しかったのです。思ったことを歯に衣きぬ着せず口にするので面白がられたようです。

物理学者の湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)先生や朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)先生に、分子生物学の動向を解説したこともあります。おふたりとも生物がお好きでしたが、偉い先生には尋ねにくいらしく、私によく声をかけてくださいました」

──生命誌という考え方に至った経緯は。

「生命の謎を解き明かすという点では、分子生物学でも生命科学でもよいのです。ただ私は、科学にも大きな視座が必要と感じていました。地球規模の歴史を織り込み、命という存在を俯瞰したい。それによって私たちの進んでいる方向、あるいは歩む道がわかるはずと考えたのです。

そのような知を生命誌と名付けて提唱しました。幸い、23年前のことですが大阪府高槻市にあったJTのたばこ工場跡地に作られた研究施設の隣に生命誌研究館を作っていただき、2002年からは館長を務めています」

──生命〝史〟ではなく〝誌〟とした理由は。

「学校で習う歴史は、例えば戦国時代に織田信長が出てきて明智光秀に殺され、それを豊臣秀吉が攻めて天下を統一。しかし、すぐ徳川家康の時代になったという歴史上の人物が中心になります。でも、その時代には農民も漁民も、女性も子供もいましたし、人間の生産活動の場である田畑や海にもさまざまな命が息づいていた。私は、時間的出来事の中のほんの一部分を抜き出すのではなく、織田信長もバクテリアも同じ仲間として捉えたいのです。地球に生きる一個の生命体という意味では同じですから。

命の構造や機能を知るだけでなく〝生きものすべての歴史と関係性を統合的に理解する〟〝私たち人間を含む生命全体の広く長い歩みを記録する〟歴史物語という意味で、生命〝誌〟と命名しました」

──幼少期から生物に興味があったのですか。

「特に好きだったわけではありません。生まれは東京の四谷です。兄と弟とはそれぞれ6つ離れていたので、ひとりっ子のようなものでした。当時の東京にはまだ広い原っぱもありましたが、外ではあまり遊ばず、家事をする母親の横で本を読んだり、レコードを聴いたりしていました。

小学3年生のとき、山梨県の下部温泉に集団疎開をしました。自然の豊かなところでしたが、思い出すのはお腹をすかしていたことばかり。疎開先の旅館に着いた翌朝の朝ご飯に出たのが、茄子のお味噌汁。昼も茄子のお味噌汁が出て、夜も同じ。あくる日からも茄子だけ。戦争というのは嫌なものだと、私たちの世代はひもじさで実感しました」

──勉強は得意でしたか。

「知りたがり屋といいますか、好奇心だけは旺盛な子供でした。知らないことを学ぶのが大好きで、学校へ行くのが楽しみで仕方なかった。でも、試験の前日になると決まってお腹が痛くなってしまう(笑)。自分が面白いと思うからやりたいのであって、試験のための勉強は苦手。人との競争にはまったく関心がありませんでした」

──一番になりたいと思ったことは。

「ありませんね。勉強でも、運動でも。とはいえ、何でも楽しみ、熱心にはやりました。私の時代は、あまり〝競争、競争〟とは言われませんでしたし。今も好きで続けているテニスも同じです。ボールが相手のコートをうまく抜けたり、教わったとおりにボールを打ち返せるととても楽しいのですが、点数には何の興味もないのです。1点の勝ち負けを喜んだり悔しがっているテニス仲間には、申し訳ないのですが」(笑)

【次ページに続きます】

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