サライ世代の範とすべき人生の先達の生き様を毎号お伝えしている『サライ』本誌連載「サライ・インタビュー」。2018年新春企画として、昨年本誌に掲載されたインタビューの数々を紹介する。

髙橋幸枝さん
(たかはし・さちえ、医療法人社団和会理事長)

――27歳で医師を目指し39歳で病院開設。現役の精神科医

「何もしないのは不養生。健康には“そっと無理する”くらいが丁度よいのです」

※この記事は『サライ』本誌2017年12月号より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文/矢島裕紀彦 撮影/宮地 工)

──101歳の誕生日を迎えられました。

「ありがたいことです。でも、ちょっと恥ずかしい思いもあるの。90歳を過ぎた時から、世間はいろいろと話題にしてくださるのだけれど、特に自慢できるようなことなんてないんですよ。医者という仕事を、人より少し長くやってきた。ただそれだけです」

──笑顔に助けられた人が多いと聞きます。

「あら、そんなふうに言ってくださる方がいるの? 嬉しいわ。医者の務めはまず患者さんを安心させることですからね。特に私の専門の精神科は、不安を抱いて受診に来られる方が多いから、ほほえみはとても大切なの。

病気の人にとっての一番の薬、それは周りの笑顔なんですよ。家族、友人、同僚。そして一番笑顔でいなくちゃならないのが私たち医者。ですから、患者さんの前ではいつもニコニコしていることを心がけてきました」

──医道の基本を忠実に守ってこられた。

「笑顔といえば、先日こんなことがありました。私の住まいは病院の向かいにある旧棟なのですが、気がついたら私の部屋の椅子に知らない女の人がぽつんと座っているんです。

“どなた?”と聞いてもうつむいて黙ったまま。

そのうち、振り絞るような小さな声で“助けて”と言うんです。“誰かに追いかけられているの?”と、尋ねてもぼんやりしている。

ああ、この人はきっと患者さんだ。入院するのが怖くなって逃げてきたのだと思い、笑顔で声をかけたんです。“大丈夫。私が助けてあげるわよ”と。そしたら、ほっとしたような顔になって。私はまったく知らなかったのですが、病院の前では患者さんが行方不明になったと警察官まで来るような騒ぎになっていたそうです。穏やかに解決できました」

──医者を目指したのはいつ頃ですか。

「27歳です。父は教師で後に校長まで務めましたが、子供が6人もいたので裕福ではありませんでした。高等女学校を出してもらうのが精いっぱい。まして女性が医者を目指すなんて夢のまた夢の時代です。卒業後は働こうと決めていました。当時はモガ……。今でいうOLですね、そういう生き方がもてはやされていたこともあり、タイピストに憧れました。結婚して東京で暮らしていた姉を頼って上京し、1年間専門の勉強をすると虎ノ門(港区)にあった海軍省に就職しました。3年後に中国の青島(チンタオ、現・山東省)へ転勤となり、そこで人生の師と仰ぐ方と出会ったのです」

──お医者さんですか。

「いえ、清水安三先生といって、北京で貧しい境遇にある人たちの救済と教育活動をしておられた宣教師です。私は青島でキリスト教の洗礼を受けました。といっても熱心な信者ではなく、教会に通うようになったきっかけも単純な理由でした。青島はかつてドイツの租借地だったので街並みが洋風で、ことに教会の美しさが乙女心をくすぐったのです」

──今の神戸のような雰囲気でしょうか。

「そうですね。それはモダンな街でした。ある時お気に入りの道を歩いていると、近くの教会から美しい讃美歌が聞こえてきました。その雰囲気がとても素敵で、惹かれるように中へ入ると、私も歌の輪に加わりました」

──それがキリスト教との出会いですね。

「女学生時代に聖書を開いたことはありますが、読書対象としての聖書でした。キリスト教の精神を教えてくれたその教会で出会ったのが、北京の聖者と呼ばれていた清水先生でした。実践的な福祉活動に基づいたそのお説教は、胸を打つ深いお話でした。身が震えるほど感動した私は、先生と一緒に北京で救済活動をしたいと願い出たのですが“あなたのようなお嬢さんにできる仕事ではありません”と、断られてしまいました。

何度も手紙を書き、ようやく秘書のような仕事をさせていただくお許しを得ました。北京へ行ってみて、お嬢さんにできるような仕事ではないと言われた意味がわかりました」

──救済活動の現実を目にしたのですね。

「保護施設には、ひどい環境で暮らしてきたため膿毒症や皮膚病、肺病を患っている人がたくさんいました。医者を雇おうにも給料が安く、来てくれる人がいません。ある時、清水先生がぽつりとおっしゃったのです。“高橋さん、あなたは日本へ帰りなさい。勉強をして医師の資格を取り、ここへ戻ってきなさい。あなたならできるはずです”と。とても不安でしたが“やってみます”とお答えし、受験勉強のため東京の姉の元へと帰りました」

──どこの医学校を受験されたのですか。

「福島県立女子医専です。当時は戦争中で医者が足りず、女性医師の養成が急務でした。その一校が福島女子医専で、志望理由は年齢制限がなかったことです。受験までわずか3か月。弟が大学受験に使った3冊の参考書を頼りに必死で勉強し、なんとか合格することができました。

ところが、入学1年目で戦争が終わりました。清水先生をはじめ、救済活動に携わっていた方々はみな日本に引き揚げてきたため、目標が消えてしまったのです。卒業後は実家がある新潟の県立高田中央病院で実習生として働き、医師国家試験を受けて合格しました」

──なんだか皮肉な運命です。

「合格後は高田中央病院に内科医として勤務していましたが、ずっと気になっていたのが清水先生への恩返しです。先生はちょうどその頃、東京の町田市に診療所付きの学校を作ろうと奮闘されていました。現在の桜美林学園です。私は高田中央病院で責任ある仕事も任されるようになっていたのですが、退職して桜美林学園へ校医として赴任することを決意しました。学校付属の診療所といっても名ばかりで、下駄箱の隅を衝立で囲った空間。机と椅子がひとつずつあるだけでした」

──校医としてはどんなお仕事を。

「当時は畑の肥やしに人糞を使っていたので、お腹に回虫のいる子供が大勢いました。駆虫薬を飲ませることが最初の仕事でした。すぐに学校の規模が大きくなり、近隣の方々も受診に来られるようになると昼ごはんも食べていられないほどの忙しさになりました。

先生の夢に少しは協力できたという思いもありましたが、学校と臨床の両立は難しいと考え、2年勤めると自分の病院を建てました。場所は小田急線沿線の中央林間。電話を引くのは順番待ちの時代で、ようやく回ってきたと思ったら番号が42。縁起でもないので、ふた桁とも違う数字に変わるまで電話を引くのを見送りました」(笑)

──この秦野病院はふたつ目の病院ですね。

「開業した昭和40年代は、精神病に対する偏見が根強くありました。にもかかわらず、心を病む人たちが増え続ける時代でした。これから社会で重要になるのは精神科だという思いがあり、院長兼内科医として脈をとりながら、慶應大学付属病院の精神科で研修生として必死に勉強しました。平成以降は“心の笑顔”を合言葉に、患者さんの社会復帰を応援する社会福祉法人も手がけてきました」

──健康の秘訣はなんですか。

「言い古された言葉ですが、腹八分目ですね。食事は3回のこともありますし、2回の時もあります。食べたくない時は無理に食べなくてもいい。健康である限り、いずれお腹が空いてきますから、その時に食べればよいのです。睡眠も同じで、眠れないからといって焦ることはありません。私の場合は、起き上がって部屋の整理などをしています。そのうち疲れて横になり、気付いたら寝ています」

──運動などはされていますか。

「特別なことはしていません。私の住まいは3階で、病院との行き来に51段の階段を使います。最近は仕事の量を少なくしていただいているので以前ほど歩かなくなりましたが、新聞は毎朝、自分で3階から下まで取りにいきます。これがいい運動になってきました。

高齢者の健康で大切なのは、筋肉を衰えさせないことです。じつは私、90歳を過ぎて2度骨折しているんです。最初は92歳の時。2回目は100歳目前の春。どちらも1か月ほどのリハビリで快復しました。最初の時は大腿骨で、ボルトで固定する手術をしてくださった先生は“骨は年齢相応ですが、筋肉は90代の人と思えません。これが順調に快復した理由でしょう”とおっしゃってくださいました。まさに継続は力なりです」

──よい行動の習慣化が大切なのですね。

「身体機能は使わないと駄目になってしまいます。だからリハビリでは一生懸命に体を動かすわけです。2度の骨折で多くの方から励ましをいただきましたが、いちばん多かったのが“無理しないでくださいね”というお言葉でした。気遣っていただく気持ちはありがたかったのですが、正直申し上げて、私はこの言葉があまり好きではないのです。

体というのは、少しは無理といいますか、圧力をかけないと駄目になっていくものなのです。介護施設に入ったとたん認知症になってしまうお年寄りが少なくないのも同じ理由です。スタッフがよくしてくれるので依存心が強くなり、頭を使わなくなるのです」

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