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軍事施設としての城の楽しみ方をご紹介するこの連載。

前回の記事「なんと赤や青の石垣も!地域によってここまで違う“城の石垣と瓦”」では地域による石垣や瓦の特徴についてお話ししました。同じような石垣に見えても、使われている石材は様々だということがお分かりいただけたかと思います。

第4回目は、織田信長によって築かれた安土城についてお話しします。信長なしに日本の歴史を語れないように、信長なくして日本の城を語ることもできないのです。

■石垣を築くのは権力の象徴だった!

信長が起こした城郭史上最大の革命といえるのは安土城を誕生させたこと。奇抜で絢爛な天主(守)、城を取り囲む高石垣、恒久化された建造物などすべてが日本初のものだったのです。

今回取り上げるのはこの三大要素のひとつ、「高石垣」です。なぜ信長は城の周囲全体に石材を高く積み上げたのでしょうか。

理由は2つ。まず考えられるのは軍事力の強化です。塁線を自由に折り曲げられる石垣は、極限まで横矢を掛けられ、それまでの城郭に比べて飛躍的に防備力が上がるのです。

そしてもう1つは、石垣を築くことに対するステータスです。石垣そのものは信長が考案したものではなく、もともと寺院などに使われていました。

しかし、武士は本来、石垣築造技術を持つ石工職人に対して命令を下す権限は持っていませんでした。つまり、城に石垣を築かせるという行為そのものが、その権限を掌握したことの証明となるのです。

■西洋の宮殿のように絢爛豪華な安土城

安土城の天主は、当時世界最高水準の木造構造建造物だったといわれています。

信長の家臣、太田牛一が記した『信長公記』によると、安土城は標高199メートルの安土山の山頂に築かれ、五重七階地下一階で高さは46メートル、地階から三階までは巨大な吹き抜け空間という西洋の宮殿さながらの開放感あふれるつくりだったようです。

また、装飾も異色で、外部はもちろん内部のすみずみに至るまで、それまでの城ではありえないデザインと、金や赤などの極彩色で絢爛豪華に彩られていたといいます。

残念ながら、私たちは安土城の姿を見ることはできませんが、安土城址に足を運び、威風堂々とそびえる城を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。

次回も、城にまつわる様々なトピックをお届けします。 詳しくはぜひ、『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』をご覧ください。

 

取材・文/平野鞠
監修/萩原さちこ

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。 大学卒業後、出版社や制作会社などを経て現在はフリーの城郭ライター・編集者。 執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。 おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、 『お城へ行こう! 』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO! 』(共著/学研パブリッシング)など。 公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

【参考図書】
『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』
(萩原さちこ・著、本体1,100円+税、SBクリエイティブ)

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