軍事施設としての城の楽しみ方をご紹介するこの連載。前回は『実は巨大な吹き抜けも存在!信長が誕生させた「幻の名城」安土城の全貌』をお届けしましたが、第5回となる今回は、秀吉をクローズアップしたいと思います。
秀吉といえば戦国時代屈指の攻城戦の達人。抜群の機動力と経済力を武器にいくつもの輝かしい勝利を飾りました。今回は秀吉が得意としていた「陣城」を使った作戦をご紹介します。
■「陣城」を使って完全に包囲する、秀吉の城攻め
秀吉の信条はできるだけ自軍に犠牲を払わせないこと。そのため籠城する敵を飢えるまで追い詰める兵糧攻めを得意としていました。
秀吉の有名な兵糧攻めである、鳥取城の戦いの際に活用したのが「陣城」です。陣城というのは合戦のために臨時に築く城のことで、陣幕を張る程度のものから山頂を削平して駐屯できるようにしたもの、土塁や堀を設けて複雑な縄張りをしたものまで規模や大きさは様々。石垣を備え、天守相当の建造物が立つ本格的な陣城もありました。
秀吉は陣城を使って城を完全に包囲し、後詰めや兵糧の搬入を完全にシャットアウトする戦法を編み出しました。鳥取城の戦いの際には、陣城群によって総延長12kmに及ぶ包囲網を整備し、城を完全孤立状態に追いやっています。
さらにこの包囲網は最終的に三重になっていました。まず鳥取城を取り囲み、その外側に城への交通路を封鎖する第二の包囲網を敷き、さらにその外側には有力国人の寝返りによって築かれた第三の包囲網を置くというものです。これではもはや海路にも陸路にも抜け道はありません。
■煮炊きする様子を見せつけて、心理的なダメージを与える作戦も!
鳥取城の戦いで極めつけの作戦は、城付近の山頂に大規模な陣城を築き、本陣を据えたこと。この陣城からは鳥取城を見下ろす形になるため、兵糧が尽き弱体化していく城内の様子が一目瞭然だったに違いありません。
逆に鳥取城側からは、秀吉軍が煮炊きをしている様子があからさまに見え、音や香りも届いたはず。こういった心理的なダメージも敵を追い詰めることになるのです。
秀吉は「見せつける城」を確立すると同時に、「見せつける戦い」も展開したといえるでしょう。
秀吉はその後、関東征伐でも兵糧攻めと調略を主軸に心理戦などいくつもの作戦を駆使し、血を流すことなく小田原城を攻略しました。この戦いの際も陣城が大きな役目を果たしたようです。
さて、連載も残すところ1回となりました。次回も城に関するトピックをお届けします。詳しくはぜひ、『戦国大名の城を読む 築城・攻城・籠城』をご覧ください。
取材・文/平野鞠
監修/萩原さちこ
萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。 大学卒業後、出版社や制作会社などを経て現在はフリーの城郭ライター・編集者。 執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。 おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、 『お城へ行こう! 』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO! 』(共著/学研パブリッシング)など。 公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。
【参考図書】
『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』
(萩原さちこ・著、本体1,100円+税、SBクリエイティブ)
http://www.sbcr.jp/products/4797380781.html
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