ライターI(以下I): 前週ににわかに話題となった「一帝二后」というと文字通り、ひとりの帝にふたりの后がということになります。この時代は「一夫多妻」も珍しくないですし、帝には多くの女御らがいるので誤解しやすいですが、正式な后と女御などでは厳然たる格差があったということですね。
編集者A(以下A):『光る君へ』で吉田羊さんが演じている東三条院詮子は円融天皇(演・坂東巳之助)の女御で、同じく円融天皇の女御だった藤原遵子(関白藤原頼忠の娘/演・中村静香)と中宮の座を争いました。
I:円融天皇が中宮に選んだのは、皇子を生んでいた詮子ではなく、遵子だったんですよね。
A:そうしたこともあってか、詮子の兄である藤原道隆(演・井浦新)が権力を握った際に娘の定子(演・高畑充希)を一条天皇(演・塩野瑛久)に入内させ、半ば強引に定子を中宮に据えます。当時は、太皇太后に冷泉天皇中宮の昌子内親王、皇太后に一条天皇国母の藤原詮子、皇后に円融天皇中宮の藤原遵子がいました。律令の規定にある3人の后の「定員」が充足していたにもかかわらず、道隆は、強引に三后の別称であった「中宮」を新たな位として、娘の定子を一条天皇の中宮に据えたわけです。貴族社会にとっては、藤原定子立后のいきさつは衝撃的だったようで、藤原実資(演・秋山竜次)は日記『小右記』に激しく非難する記述を残しています。
I:ということは、藤原彰子(演・見上愛)の中宮立后による「一帝二后」は、中宮定子にとっては、「特大ブーメラン」でもあるのですね。「四人の后体制を強引に実現した過去」「出家の身で皇子を生んだこと」など、道長は貴族社会に蔓延していた定子への非難をうまく利用したともいえます。
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