皇后定子の辞世の句
I:皇后定子と清少納言との端午の節句の日(5月5日)のやり取りから半年以上経った12月16日、皇后定子は第三子(媄子内親王)を生んだ後に亡くなってしまいます。
A:『枕草子』には皇后定子崩御に関する記述がありません。今回の描き方は、唐突な感じがしたかもしれませんが、端午の節句のやり取りを最後に、皇后定子に関する記述をせずに、さらに崩御に一切触れなかった清少納言の思いを汲んでの演出かと感じています。皇后定子と清少納言への「愛」、ふたりの関係への「リスペクト」を感じて、なんだか感動しました。そして、この演出のおかげで思いついたことがあります。
I:なんでしょう。
A:皇后定子が亡くなった後に、彼女が詠んだ和歌が見つかりました。辞世の歌といわれる歌です。いったいいつ詠んだのだろうと思っていたのですが、『光る君へ』を見てふと思いついたのです。皇后定子は待遇の悪さに出産までの間に「死」を覚悟する機会が幾度もあったのではないかと感じてしまいました。
I:『栄花物語』の記述では、出産は無事済んだものの、後産、つまり胎盤がうまく排出されなかったようなことが書かれています。
A:『栄花物語』は中宮彰子の女房となった赤染衛門(演・凰稀かなめ)が筆者だともいわれているだけあって、道長礼賛の傾向があります。皇后定子崩御についても仮に道長の意向を受けての「事件」だったとしても、そうしたことが記録されるわけがありません。
I:なるほど。確かにそういわれると……。
A:皇后定子が住まっていたのは平生昌の屋敷ですが、平生昌は道長政権で中納言という要職を務める平惟仲(これなか/演・佐古井隆之)の実弟になります。惟仲は、相模や肥後など複数の国の受領を歴任したのちに、道長の父兼家(演・段田安則)に見出されて家司(けいし)になって立身していた人物。言葉は悪いですが、「道長の腰巾着」ともいえる人物ですね。
I:私もちょっと不思議な感じがしていたのです。
A:皇后定子の崩御になんらかの作為があったとしたら、「何故我らばかりがこのような目に合わねばならぬのか。なにもかもあいつのせいだ」と叫んで号泣していた藤原伊周(演・三浦翔平)の姿とも符号します。
I:という風にいろいろ議論したくなってしまうくらい本当にほんとうに面白い回でしたね。
皇后定子の和歌を読み解く
A:それでは最後に、皇后定子が詠んだ3首の和歌のうちの1首でまとめたいと思います。
よもすがら契しことを忘れずば 恋ひむ涙の色ぞゆかしき
「私を思ってあなたが流した涙の色を知りたい」といった意味ですが、なんとも美しく、悲しい歌です。出産の際の産褥死が珍しくはなかった時代ですが、初産婦ならともかくすでに2回の出産を経験している皇后定子が産褥死とは。
I:皇后定子の最後に残した和歌はもう2首あります。「知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも急ぎ立つかな」(誰も知る人のいない死出の旅路に、今はこれまでとこの世に別れを告げて心細くも急ぎ出で立つことです)と、「煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露をそれとながめよ」(煙となり雲となって空にただようこの身でなくても、草葉におく露を見て、それが私と思い偲んでください)。
A:なんとも切ない歌ですね。やがてこの歌が話題にのぼる日が来るのですが、劇中では描かれるのでしょうか 。
I:楽しみですね。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。「藤原一族の陰謀史」などが収録された『ビジュアル版 逆説の日本史2 古代編 下』などを編集。古代史大河ドラマを渇望する立場から『光る君へ』に伴走する。
●ライターI:文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2024年2月号の紫式部特集の取材・執筆も担当。お菓子の歴史にも詳しい。『光る君へ』の題字を手掛けている根本知さんの仮名文字教室に通っている。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり