源氏の血統が途絶える

父・全成と同じく頼朝の弟である義経は、殊勲を立てたにもかかわらず頼朝に追われ、奥州で滅びました。そして、同母長兄である全成は、上述したように、頼朝の死後に謀叛の疑いで殺されています。また、彼らと同じ母を持つ義円(ぎえん)は、早く叔父・行家(ゆきいえ)とともに尾張の墨俣河(すのまたがわ)で平氏と戦って敗死。

義円の供養塔や地蔵がある、義円公園。

頼朝の子である2代将軍・頼家は、北条氏討伐を企てたことで伊豆修善寺に幽閉され、死亡。同じく頼朝の子で3代将軍の実朝は暗殺。そして、全成の嫡男・時元が実朝の死の直後に滅んだことで、源氏の血統は嫡流も庶流も断絶したのでした。

正統が途絶えた将軍家に代わって将軍職を継いだのが、藤原氏のいわゆる「摂家将軍」です。北条氏によって、源頼朝の遠縁にあたる藤原頼経(よりつね)がわずか2歳で鎌倉に迎えられました。北条政子は彼の後見人なることで将軍代行を務め、幕府を動かしていきます。

阿野氏ゆかりの寺 大泉寺

時元とその父・全成の墓は、静岡県沼津市の「大泉寺(だいせんじ)」という寺にあります。ここは、かつて阿野全成が建てた館跡に建立されたと伝わる地です。

大泉寺の始まりは、全成が館の一隅に持仏堂を造り、源氏一門の霊を慰めたこととされ、最初は真言宗であったとされます。その後、建仁3年(1203)に、全成は謀反の疑いをかけられて鎌倉で捕えられると、常陸に流されたのち切られました。寺の門前の松は「首懸け松」と呼ばれ、全成の切られた首が空を飛んで帰り、この松に懸かったという口承が残っています。

時元の死の後、父子は大泉寺の墓地で眠りにつきました。同じ母から産まれた義経は日本中で広く知られていますが、その兄にあたる全成の名は轟きませんでした。これには、頼朝が大変疑い深い性格だったことが関わっています。彼は自分に取って代わりそうな可能性のある源氏一族を次々に滅ぼしていっており、全成としては幕府政治などから身を引いて保身をはかっていたと考えられています。

まとめ

源氏と執権・北条氏の双方の血縁者としての立場にあった阿野時元。将軍になろうと挙兵するも、虚しい最期を迎えました。彼の死をもって源氏の血筋がほとんど途絶えることになり、北条氏が幕府の権力を占めることに繋がっていったのです。

文/トヨダリコ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/鈴木菜々絵(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

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