はじめに-実朝暗殺とはどんな事件だったのか

初の武家政権樹立、源平合戦での勝利、奥州征伐…数々の歴史を作り上げたカリスマ的存在、源頼朝。しかし、彼の血を継ぐ源氏将軍は、わずか3代で途絶えてしまいます。その3代目であり、頼朝の次男にあたる実朝の最期は“暗殺”でした。権力闘争とそれを取り巻く激しい応酬が、若き将軍の身にも襲い掛かります。では「実朝暗殺」は、具体的にはどのようにして起こったのでしょうか。

目次
はじめに-実朝暗殺とはどんな事件だったのか
実朝暗殺はなぜ起こったのか?
関わった人物たち
この事件の内容と結果
実朝暗殺、その後
まとめ

実朝暗殺はなぜ起こったのか?

源実朝は建久3年(1192)、源頼朝と北条政子の次男として鎌倉に生まれました。父・頼朝の死後、征夷大将軍に補任された兄・頼家が廃されたため、建仁3年(1203)9月に征夷大将軍の職を継ぎます。

その頃になると、執権・北条時政が政所別当をその手に収めて独裁政治の一歩を踏み出し、源氏の功臣・畠山重忠らを倒してその勢いを示していきます。将軍となった実朝は、もはや政治上に多くを期待しえないことを知り、むしろ京都風の文化と生活とを享受することを楽しみました。元久元年(1204)には後鳥羽上皇の母の姪を妻として都から迎え、右大臣の高官を望むという様子でした。

そのため、関東武士の信望はしだいに薄らいでいきました。北条義時はこの情勢を利用し、源氏将軍断絶の計画を推し進めたと考えられています。義時は建保元年(1213)、関東の大勢力たる和田義盛を倒し、義盛の帯していた侍所別当をあわせて、北条氏による執権政治の基礎を築きました。そして実朝は子供がいないため、将来皇族を将軍に迎える方針を立てます。

一方、実朝は晩年しきりに官位の昇進を望みました。彼の官位は一挙に「権大納言」兼「左近衛大将」から「内大臣」を経て「右大臣」へと、異常な昇進をみせたのでした。これに対して実朝は「源氏の正統は断絶するから、せめて家名を挙げておきたい」と、言葉を残したと伝えられています。

孤独の中にいた実朝が望んだ、右大臣という地位。しかし、暗殺事件はその就任の折に起こったのでした。

関わった人物たち

実朝暗殺に関わった、主な人物をご紹介しましょう。

源実朝側

・源実朝

鎌倉幕府の3代将軍。頼朝の次男であり、母は北条政子。12歳のとき頼家が追放された跡を継いで、将軍となる。

・源仲章

後鳥羽上皇の側近。鎌倉幕府にも通じて、将軍・実朝の教育係としての役割も担った。

公暁側

・公暁

公暁

2代将軍・源頼家の子。父が将軍を廃せられて殺されたのち、鶴岡八幡宮寺別当の門弟となり、その後自身も鶴岡八幡宮寺別当を務めた。

この事件の内容と結果

承久元年(1219)、雪が降るある晩、将軍・実朝は右大臣就任の報告拝賀のために、鶴岡八幡宮へ出発する支度を整えていました。八幡宮の楼門に入る際、太刀持ちとして随行していた北条義時は「気分が悪くなった」と太刀を源仲章に渡し、自邸に戻ります。実朝は予定通りに拝賀の儀式を済ませて本宮を出発。

彼が石段を降りたところで、そばに潜んでいた八幡宮別当・公暁らが実朝に忍び寄ると「父の敵を討つ之由……!」の叫び声とともに実朝を襲ったのでした。随兵らがその場に殺到したときには、首のない実朝の亡骸が倒れているのみであったとされます。以上は『吾妻鏡』の記述によるものです。『愚管抄』では義時は自邸に戻らず、太刀を捧げて中門に留まっていた、とあります。

3代将軍・実朝は、こうして28年の短い生涯を閉じたのでした。公暁が実朝を暗殺した理由は、親の仇討ちとされます。父・頼家は「比企氏の乱」により伊豆の修善寺に幽閉され、暗殺されました。頼家が非業の最期を遂げた後、跡を継いだのは、父・頼家の実弟の源実朝です。そのため、公暁は怨恨により実朝を襲撃したと考えられています。

ただ、公暁の犯行は単なる仇討ちではない、と推測する者もいます。頼家が亡くなったとき、源実朝は僅か12歳の少年に過ぎません。また、比企氏が擁する頼家と北条氏が擁する実朝という対立構造は両氏の権力闘争の結果でした。そこで、公暁の背後には源氏討滅を目的とする北条氏の影が浮かび上がります。

執権である義時が本宮まで同行しなかったのは、公暁をそそのかして実朝暗殺に導き、自らは傍観者の立場を取っていたという可能性があるからと考えられています。あるいは暗殺自体を事前に知っていたのかもしれません。また、このとき源仲章も巻き添えとなっていますが、それも義時の差し金だったのか、逆に刺客たちは義時を殺すつもりが間違えて仲章を殺したのか……、様々な推測が飛び交っています。

また、暗殺事件の背景には義時の他にも、北条氏の政敵で公暁と近しかった三浦氏による北条打倒、将軍親裁を強める実朝に対する北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀、もしくは後鳥羽上皇による幕府転覆の策謀が存在したのではないか、など様々な考察が行われています。しかし、いずれも確証はないままです。

実朝暗殺、その後

実朝を殺害した公暁はその後、みずから将軍たらんとして、乳母の夫であり御家人中の有力者・三浦義村を頼ります。しかし、義村は北条氏に通じたためにその願いは成就せず、その夜のうちに義村の差し向けた討っ手によって殺されたのでした。実朝の猶子でもあった公暁は、義理の父親を殺害し、わずか20歳でこの世を去りました。

なお、実朝には子どもがなかったため、源氏将軍は断絶。その後、源頼朝の遠縁にあたる藤原頼経(よりつね)がわずか2歳で「摂家将軍」として鎌倉に迎えられます。そうして、彼の後見人として執権である北条氏が将軍の代行を務め、幕府が統べることとなりました。

まとめ

2代将軍・頼家を父にもつ公暁が仇討ちのため、3代将軍・実朝を暗殺したこの事件。単なる仇討ちと片付けられないほど、御家人らを取り巻く権力闘争は激しいものだったことがうかがえます。源氏将軍の断絶を意味するこの出来事は、その後の幕府の在り方を決定づけた事件の一つといえるのではないでしょうか。

文/トヨダリコ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
アニメーション/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)

 

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