はじめに-千世とはどんな人物だったのか
千世(ちよ)は、3代将軍・源実朝の妻にあたる人物です。彼女は、京都の実力者である権大納言・坊門信清(ぼうもんのぶきよ)の娘になります。また、叔母が後鳥羽上皇の実母であるため、後鳥羽上皇のいとこに当たる人物です。史実では、西八条禅尼(にしはちじょうぜんに)と呼ばれています。
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、後鳥羽上皇の従妹で、源実朝の正室(演:加藤小夏)として描かれます。
目次
はじめに-千世とはどんな人物だったのか
千世が生きた時代
千世の足跡と主な出来事
まとめ
千世が生きた時代
千世(西八条禅尼)は、鎌倉時代初期の公卿の家系に生まれます。当時、朝廷では後白河法皇が院政を行い、政権を握っていました。彼の死後、千世のいとこにあたる後鳥羽上皇が院政を始め、土御門・順徳・仲恭天皇の3代にわたり、朝廷の頂点として長きにわたって政治を進めました。そんな中で千世は、将軍との婚姻関係を結ぶことで、朝廷と幕府の結びつきをつくる役割を担いました。
千世の足跡と主な出来事
千世は、建久4年(1193)に生まれ、文永11年(1274)に没しています。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
後鳥羽上皇のいとことして生まれる
千世こと西八条禅尼は、建久4年(1193)、京都の実力者である権大納言・坊門信清の娘として生まれます。父・信清の姉である七条院(しちじょういん)は後鳥羽上皇の実母です。つまり、千世は後鳥羽上皇のいとこにあたります。
3代将軍・源実朝の正室となる
2代将軍・頼家が廃されると、弟である源実朝が建仁3年(1203)9月に征夷大将軍の職を継ぎます。わずか12歳で将軍になった実朝はその翌年、正室を迎えることになりました。幕府内では北条政子の姪にあたる足利義兼(よしかね)の娘が候補にあがっていましたが、京都から公卿の娘を迎えることに決定。そこで選ばれたのが、千世(西八条禅院)でした。
ここで後鳥羽上皇のいとこである千世が選ばれたことからも、朝廷は幕府との結びつきを重視していたことが伺えます。正室となった千世と実朝とは仲が良く、夫婦生活は円満だったとされます。姑である北条政子も千世を立てていました。しかし、実朝との間に子供は生まれなかったため、その立場は非常に不安定なものだったと考えられています。
【夫の死後、出家。次ページに続きます】