鉄 芳松さん(潜水士)

─海のトラブルをチームで乗り越え60余年─

「潜水士が手掛けているのは『水面下で見えない根っこ』の部分です」

水工業所の仲間たち。後列左から夫人の佐和子さん、望月みゆきさん、武内昭人さん、川村賢永さん。信頼で支え合っている。

──潜水士について教えてください。

「木にたとえるなら、『根っこ』の部分を担当しているのが潜水士でしょうね。どんな木も、地面の下がどうなっているかわかりませんよね? でもしっかりと根が張っていなければ、見た目が大木でもいずれ枯れてしまう。潜水士が手掛けているのは、『水面下で見えない根っこ』の部分なんです。

たとえば船が座礁したとします。その調査は私たちの仕事。時には修繕を請け負うこともあります。防波堤や消波ブロックなどは、水中部分の土木作業を一手に引き受けます。ここ清水港の消波ブロックも随分、請け負いました。台風一過後に見にいっては、“見ろ、壊れてないじゃないか”と胸を張っています。もっとも、“鉄組(潜水工業所)が造ると壊れないから、仕事が増えないじゃないか”と、建設業者からは冗談をいわれますが」(笑)

──ただ水中に潜っているだけじゃない。

「ええ、水の中のトラブルは一手に請け負います。ですから、時には大工になったり、石工になったり。溶接の技術も必要ですし、設計者の目もいる。スマートフォンやパソコンの中からは、探そうとしても見つからない技術です。現場ごとにこれまでの知識と経験を総動員して、想像力を働かせ類推していかなければ、物事は前に進みません」

──現在、潜水士の数はどのくらいですか。

「潜水士は、国家資格です。実際に職業潜水士として稼働している人数でいうと、今、3300人ほどでしょうか。昔に比べると、随分減りました。根っこを担う人材が減っていることに、危機感を覚えています」

──ダイビングと潜水士の違いは。

「私はダイビングの認定証も持っていますが、このCカードは各団体が出しているもので、認定でしかありません。いちばん大きな点は、ダイビングはボンベを背負っているということ。だから自由に動けます。

潜水士には違う様式もあります。一般的な潜水は送気式潜水といって船上からホースで潜水者に空気を送ります。この方法は長時間の潜水作業が可能です。私が装着している様式はヘルメット潜水といい、安政4年(1857)に日本に導入されました。この様式を使う人は、1割程になりました」

通常はこの着がえを、船上で行なう。潜水服を着ることも、仲間の手が必要となる。装備全体の重量は、60~70kgにもなる。最近は、ウェットスーツでの潜水も増えてきた。
長年、潜水の相棒としてきたヘルメット。これだけで10kg以上の重さがある。こうした潜水道具の点検もまた、潜水士の仕事だ。点検ひとつに、命がかかっている。

──空気を送る人間が必要なんですね。

「その通りです。潜水作業は、私のような潜水士に空気を送る送気員、作業船上から潜水士と連絡を取り合って安全管理などを行なう連絡員の3人ひと組で作業をします。かつては手押し式ポンプで空気を送っていたので、送気員が5~6人必要でしたが、今は動力式のコンプレッサーなのでひとりでまかなえます。なので3人ひと組のうちひとりでも欠けたら、潜水は成り立ちません。それに、ヘルメット潜水は、装備全体で70kg近くありますので、着脱や運搬には送気員や連絡員の手助けが必要です。信頼できる仲間がいて、初めて成り立つんですね。

どの仕事も、師匠や先輩から口伝で教わってきました。しかし口伝だと途中で技術が途切れてしまうこともある。後世に残す必要があるとの思いに駆られ、先日、連絡員向けの技術書を提案したところです。送気員、潜水士の技術書にも取りかかる予定です」

──チームに必要なことは何ですか。

「ひとことで言うなら、信頼でしょうな。潜水士にしてみれば、命を全部預けていますからね。昔は暖房なんて整っていなかったでしょ? 寒い冬の海の作業だと、船上でね、七輪で暖を取るんです。いい加減な送気をすると、一酸化中毒になってしまう。ヘビースモーカーの送気員だと、水中で煙たくてね(笑)。

20歳そこそこの頃、芦ノ湖(神奈川県)での船の進水作業に従事しました。送気員、連絡員は別の会社から派遣されていたトビ職人でした。湖畔から水中に潜っての作業です。ところが途中、集中豪雨に見舞われた。水中が暗くなったので、もしやと思って浮上すると誰もいない。皆、豪雨から逃げ出していたんです。幸い、斜路での作業だったので、私は腹ばいで陸上まで進み、何とか難を逃れました。どうしたかって? 送気員、連絡員を怒鳴りつけましたよ。あまりの形相と大声に、ふたりは平謝りでした」

──命の危険もあります。

「ええ、でも師匠──私の父からはすぐに諭されました。事件を耳にした父からすぐに電話がかかってきて、全員の前で謝ること、夕食で酒と肉を用意してもてなすこと、このふたつを厳命されたんです。

現場にいずとも師匠はすべてが見えていたんだと思います。言われた通りのことを実行すると、目に見えて一体感が生まれ、作業もはかどるようになりました。どんな理由があっても、和を乱すのは半人前だということです。いくら技術が上達してもだめなんだと、ガツンと思い知らされましたね。潜水作業はひとつの運命共同体である。そのことを痛烈に学んだ体験でした」

昭和40年代から、業界内で先んじて水中調査に水中カメラを使用してきた。鉄さんが手にしているのは、デジタル一眼レフの入ったハウジング(防水ケース)「ネクサス」。

「“できない”と思ったら、すべてがそこで終わってしまう」

昭和34年11月3日、19歳の鉄芳松さんは、憧れの父の背中を追って、潜水士としての第一歩を記した。それから60余年、鉄さんの人生の苦楽は、潜水と共にある。

──なぜ潜水士を目指したのですか。

「この鉄組は、父が興した会社です。小さい頃から、祖父に連れられて、船上から父の仕事を見ていました。その頃から潜水道具に触れていましたし、船上が遊び場でした。次男坊でしたが、高校を卒業すると迷いなく、鉄組の門を敲きました。昭和34年の3月のことです。父というよりは、当初から『親方』でした。途中で、親方の偉大さに気づき、それ以来『師匠』と呼ぶようになりました。今の私の中では、『お師匠』。『お』をつけなければ恐れ多い、神様のような存在です」

──どんなことを教わりましたか。

「仕事は見て学ぶしかありませんでしたが、潜水士になる前から、心構えだけは口を酸っぱく言われていました。人の話を一生懸命聴くこと。本を読むこと。日記を毎日つけること。体を鍛えること。そういうことでした。そのほかのことに関しては、仕事さえきちんとやっていれば、何も言いませんでした」

──日記をつけろ、とは意外です。

「顔を合わせるたびに“日記を忘れるな”と言われ続けていましたね。でも、中身を見せろとは言わない。潜水士になった4年後、家族で新居に引っ越すことになりました。その時、親方から“この4年間の日記を、もう一度読んでから燃やすこと”と言われました。日記をつけることで、仕事を振り返るくせをつけさせたかったのでしょう。“燃やすこと”の言葉に、一人前として認めてくれたんだと責任を新たにしました」

──4年目で一人前とは順風満帆です。

「ところがそうじゃないんです。知らないうちに、自信過剰になっていたんでしょうね。あれは昭和41年の春のことです。私は結婚して2年目で、幸せの真っ只中でした。潜水技術が上達しているという実感もあった。ところが、ある時、潜水前は穏やかだった海が作業中に突如、大時化(おおしけ)になり、船上の親方から急浮上するようにとの連絡がありました。

船の梯子を必死に掴んで上りました。船上に到着し、ホッとしてヘルメットを外した瞬間、船の日除けの覆いが突風に飛ばされて、覆いの鉄筋が、私の左頭を直撃したのです。咄嗟に、親方と送気員が支えてくれたので、海への転落は免れましたが、もし落ちていたら助からなかったでしょう。なぜなら私はその時すでに、意識を失っていたのです」

──大事故です。

「港に戻ると、すぐに救急車で運ばれました。結局、2か月入院しました。幸い、異常は見つかりませんでしたが、完全に復活するまで半年以上かかりました。原因は何かとあとで振り返ってみたのですが、やはり過信でしょうね。日常の勢いのまま、走ってしまっていたのでしょう。これ以降も、たびたび命の危険に襲われましたが、九死に一生を得てきたのは、この時の失敗が大きい。“自分は生かされている”という実感があるから、自分の足元を常に見つめ直すようになった。だからその後のピンチも、どうにか対処できた。女房ですか? 女房の父も潜水士でしてね。この仕事が危険なこともわかっているし、“あなたなら大丈夫”と信頼もしてくれている。だから心置きなく、挑戦し続けることができます」

──挑戦し続けるのは簡単ではありません。

「これは師匠の教えでもあるんですが、“できない”ということはない、ということなんです」

──どういうことでしょう。

「どんな仕事も“やる”を前提とする、ということです。“やる”と思うから必死に考える。その過程から何かを得るんです。たとえ失敗しても、その経験は必ず自身の糧になります。何事もやらなければ、技術力も経験も身につきません。“できない”と思ったら、すべてがそこで終わってしまいます。

父は、『一期一会』という言葉もよく口にしていましてね。そりゃあ出会いは大切です。そんなふうに思っていたんですが、最近、この言葉の意味がわかってきた。人は会うべくして会っていた。自分は生かされていたんです。ようやくこの年になって、師匠の背中が見えてきたのかもしれません」(笑)

「歩いている途中なんだから、止まるまで歩けばいい」

──3年前に旭日小綬章を受章されました。

「今までに2万回以上潜水してきましたが、私などより、立派な潜水士はたくさんいます。あくまでこれは、潜水士を代表していただいたのだと思っています。

先日も、本(『潜水士の道』)を出版したことが巡り巡って、国土交通大臣と対面する機会に恵まれました。潜水士という存在に大変興味を持っていただきましてね。潜水士がいかに重要か、後進の育成を迫られているか、ということに理解を示していただいて、非常にありがたかったですね」

──今後の人生のご予定は。

「自分に定年はありません。今年(令和2年)はまだ潜っていませんが、去年までは潜水をしてました。周りは“もう年なんだから”と言いますが、年齢なんて関係ありません。それより、自分が80年、生かされてきた中でたくさんいただいた『恩』を返さないといけません。温故知新ならぬ、“恩”故知新です。恩を思い起こし、もう一度先人の言葉を思い起こし、そこから未来のための知恵を学び取る。たくさんの人との出会いの中で、私は何ものにも代えがたい多くのことを学ばせていただきました。父だけでなく、全国各地に何人も“師匠”と呼ぶべき人がいます。それを自分の中だけに抱えていてはだめなのでしょう。潜水士などの技術書を執筆していると言いましたが、これが私なりの恩返しです。 もうひとつは、環境に対する恩返しです。

今、海の環境が大きな問題になっていますが、潜水士としてこのことに寄与できるんじゃないかと考えているんです」

──具体的に教えてください。

「たとえば、コンクリートで作った魚礁を海に沈める。これまでは沈めたら終わりでした。そういう仕事も随分、請け負いました。でも実は、だいたい3年もすると、海藻がつかなくなり、魚礁として意味をなさなくなる。ではどんな魚礁ならいいのか。そういう環境追跡調査に、潜水士の目が必要なことがわかってきたんです。

これまでは、海中に何かを造る、ということが中心でした。しかしこれからは、環境を保全、再生、修復していくことこそ、求められているんじゃないか。海の中のことは、私たち潜水士がいちばんわかってますから、ここでも恩返しができます。これまでも北海道大学やNPO、漁協などと組んで、コンブ類の栽培や、海藻をテーマにしたフィールドワークを開催してきました」

──やることがたくさんありますね。

「やってみなくてもわかることはあるでしょうが、やってみて初めてわかることもある。やってみなけりゃ、何もわかりません。だからやる。簡単でしょ? どんなことも“やる”が前提ですから」

──人生、休みたいと思われたことは?

「今だって歩いている途中なんだから、止まるまで歩けばいい、と思っているんです。止まったら休めばいい。

終活ってことばがあるでしょ? 80歳ともなれば、終活を考える年齢なのでしょうが、いつ終わるかわからないんだから、終わり方を考えたってしかたがない。だったらそれまでは、やりたいようにやり続ければいい。それでいいじゃないですか」

鉄組潜水工業所は三保の松原で知られる三保半島(静岡市)にある。毎朝、夫婦ふたりでの散歩が日課だ。この日は、同い年の奥様・佐和子さんと同半島の真崎海岸へ。

鉄 芳松(てつ・よしまつ)
昭和15年4月17日、茨城県生まれ。鉄組潜水工業所社長、日本潜水協会会長。幼い頃から潜水士の父・鉄明に同行し背中を見て育つ。高校卒業後の昭和34年、父の仕事の拠点・静岡県清水市(現・静岡市)で潜水士となる。潜水経験は60年超、「潜水界の怪物」「世界のプラチナ潜水士」の異名を持つ。平成16年に黄綬褒章、平成29年に旭日小綬章を受章。令和2年8月に著書『潜水士の道』を上梓。

※この記事は『サライ』本誌2021年1月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。( 取材・文/角山祥道 撮影/太田真三 )

 

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