2003年頃から、土地を探し始めた。カリフォルニア、フランス、イタリアも訪れた。当初はフランスとイタリアが有力な候補だったが、言語の問題もあり躊躇していた。ココ・ファームで北海道のぶどうを購入し、ワイン造りをするなかで、これほど質のいいぶどうが採れるなら自分の理想のワイン造りができるかもしれないと、やがて思い始めるようになる。

2006年、ブルースさんは他の日本ワインの生産者たちとともに渡仏した。シャンパーニュやロワールなどフランス各地のワイン生産者を訪ねるなかで、ヴァン・ナチュールが大きな潮流になりつつあると、肌で感じた。自らもそういうワインが魅力的に思えた。やはり自分の新しいプロジェクトを始めようと、改めて決意。ココ・ファーム側と話し合いの場を持つと、「取締役の立場はそのままで、技術指導は継続して欲しい」と依頼され、円満に独立への道が拓けた。ちなみに現在はココ・ファームも、化学合成農薬をなるべく使わないぶどう栽培へとシフトしている。

念願を叶えて、北海道・空知地方の岩見沢へと移り住んだのは2009年のこと。

「空知は自分の育ったニューヨーク州ロングアイランドに似ている。じゃがいも畑があって、野生の雉や鹿が棲息して、すごくのどかです。この地域はぶどう栽培農家も、低農薬の人が多い。だから農薬の量を減らしてぶどう栽培をしても、周囲の農家から”虫や病気が出るからやめてくれ”と言われないのも理想的でした。私は人との争いが苦手だし、自分の望むことをマイペースでやりたいから」

北海道の多くのワイン産地のなかでも、内陸にある空知はより厳寒で、春と秋は長く、夏は短い。昼夜の寒暖差も激しい。それだけに、ワインには酸とミネラルがくっきりと刻印され、ストラクチャー(味の構成)のしっかりした味わいに仕上がる。

10Rのカーヴのすぐ横に、そのぶどう畑は広がっている。土壌は風化した砕けやすい粘土質であり、水はけがいい。2.3ヘクタールの畑のうち、現在は1.4ヘクタールにぶどうが植樹されている。赤ワイン用の1ヘクタールの区画は南向き斜面で風が強く吹きつけることから、「風」という銘柄名にした。そのうち95%がピノ・ノワールで、それ以外にピノ・ムニエ、プールサール、ガメイが混植される。これまではぶどうの粒を茎から外し、粒だけで発酵する除梗という方法を用いていたが、2015年の収穫は房ごと仕込む全房発酵にも挑戦した。全房1樽、除梗2樽である。除梗は果実味がありチャーミング、全房は色が淡く繊細な味わいに仕上がるので瓶詰め前にその3樽をブレンドし、最終的にピノ・グリも混ぜた。

醸造所のすぐ横にある畑。主幹が細く、まだ樹齢が若い。樹齢が上がるとともに、ワインも変化を遂げていくに違いない。

一方、白ワイン用の畑0.4ヘクタールは後ろに大きな森があるので「森」と命名されている。ソーヴィニヨン・ブラン、そこにピノ・グリ、オーセロワ、アリゴテ、シュナン・ブラン、サバニャン、グリューナ・フェルトリーナなどが少しずつ植わっている。ぶどうの収穫は限界まで待つ遅摘み。例年、収穫は10月の後半であり、「2016年のソーヴィニヨン・ブランは雪が降ってから収穫した」という。白用のぶどうは房ごと搾り、タンクに入れて常温で1日置き、沈殿させる。その上澄みだけを別の容器に移し、りんご酸が乳酸に変わるマロラクティック発酵が終わったら味わいを確認、一体感が出てきたところで澱引きし、すべてのタンクのワインをブレンドして瓶詰めする。そのワインにはとろりとした粘性があり、夏みかんなどの柑橘、白胡椒やトリュフの芳香が漂う。いわゆるソーヴィニヨン・ブランの概念を覆す味わいだ。

いわゆるソーヴィニヨン・ブランの概念を覆す「森」。遅摘みにより酒質はとろりとして、黄金色に。

「醸造家としては透明人間になりたい。人ではなく、畑の要素が感じられるワインを造りたいんです。よく“美味しいとはどういうことか”と考えるんですよ。”美味しくない”とは”口に合わない”ということではないかと最近、思うようになった。私が求めるのはピュア、のどごし、旨み。今までワインにとって欠陥といわれてきた酢酸やブレッド香も少しあってもいいと思います。従来のワインとは違う価値観で、私なりの美味しさを追い求めていきたい」

北海道・岩見沢は4月でも寒風が吹く。そのなか、亮子さんは畑仕事に励んでいた。

現在、畑仕事は妻の亮子さんが中心に行う。北海道に移住するまでワイン造りの経験は皆無だった。しかし、「知識や常識がないことが、良い方向に働くこともあると思います。ぶどう栽培は、子育てと似ている。なにより観察が大事で、その時々の状況によって対処していきます」と、亮子さんは語る。ぶどう栽培は重労働だ。酷寒の北海道で畑に立ち続ける亮子さんの顔は、大地とともに生きる人間ならではの清々しさに満ちていた。

10Rの設立から、まもなく10年。「ワイナリーが、空知地方の環境に馴染み、景色のひとつとなってくれれば」と、ふたりは未来をそう語る。

最後にブルースさんに、日本ワインへの自らの影響力について聞いてみた。彼からワイン造りを学んだ生産者たちを「ブルース・チルドレン」と、そう呼ぶ声もある。

「日本のワイン業界の役に立てるのはとてもうれしいし、光栄なことです。でも、”ブルース・チルドレン”と呼ばれる側の人たちは、その表現をどう思うでしょうか。親というのは子供から多くのものを得ますよね。私には今、15歳の娘がいますが、彼女からたくさんのものを受け取っている。私も曽我さんや近藤さん、中沢さんから多くのことを得させてもらった。どちらが上か下か、ということではないんですよ」

その人生観の基底となるのは、クリスチャン的な思想である。

「私は日本のワイン界、ひいては日本の農業を元気づけたいと思ってきました。ココ・ファームにいた時代は、買い付けのために全国のぶどう栽培農家を回っていた。そのたびに、日本は農業に関わる人が減り続けていると感じたんです。ワイン用の質の高いぶどうを造れば、農家は自分の作物を安く売ったりと、苦しむこともなくなる。微力ですが、そういう農家を増やしていければ、と。私は父母に、“人間同士は助け合うのが基本”、そして“周囲のためになにができるかを考えなさい”と教えられてきました。それをワインという仕事を通して実現できることが、最大の幸福に感じられるんです」

取材時、ブルースさんと亮子さんが造る「上幌ワイン」の「森」と「風」が出荷の時を迎えていた。生産量が少ないため貴重で、なかなか入手できない。

取材・文/鳥海美奈子
2004年からフランス・ブルゴーニュ地方やパリに滞在して、文化や風土、生産者の人物像などとからめたワイン記事を執筆。著書に『フランス郷土料理の発想と組み立て』。また現在は日本の伝統文化、食や旅記事を『サライ』他で執筆している。

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