取材・文/ふじのあやこ

一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、家族のこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
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株式会社ニッスイは、別居する親をもつ全国の男女500名を対象に、「親の健康と自身の健康意識に関する調査」(実施日:2025年1月21日~1月23日、有効回答数:別居する60~70歳代の親をもつ全国の男女計500人、インターネット調査)を実施。調査にて、「親の健康状態で今後心配なこと(複数回答可)」を聞いたところ、「筋力・体力の低下」と回答した子世代は約半数(49.0%)で最多、次いで「物忘れ・認知機能の低下」(45.4%)、「免疫力の低下」(34.4%)が挙げられた。
今回お話を伺った武志さん(仮名・44歳)は一人っ子で、小学生の頃から父親と2人で暮らしていた。
母に冷たく扱われ、私は父と暮らすことを選んだ
武志さんが両親と3人で生活していたのは小学1年生の頃まで。両親は半年以上口をきいていない状況が続き、その後に母親が出て行くかたちで別居になった。
「具体的にいつからかは覚えていないんですが、母親が家にいる間はずっと自室で過ごすようになり、私の世話は父親がやってくれていました。母親に私から話しかけても素っ気ない態度を取られるようになり、いつしか会話はなくなっていました。
父は友人関係だった社長の会社で働いていて、融通がきいたのか私のために時短勤務をしてくれていたんです。だから、夕方からずっと父親と過ごすようになっていました」
母親が出て行くときに、武志さんは「どっちと暮らしたい?」という質問を父親から受けていた。武志さんは迷うことなく「お父さんといたい」と言ったという。
「どっちと暮らしたいかと聞かれて、悩まなかったんですよね。もう半年以上母親から冷たい扱いを受けていたので。それに、父親が母親に話しかけて無視されている姿を何度も見ていて、父親のことをかわいそうだと思っていたから、父親の味方につきたかったんです。
あのときの質問を母親に聞かれていたとしても、父親と言っていたような気がします。自分が父親を選んだことで母親を傷つけてしまったのかもしれないと思うようになったのは、もっと大きくなってからでしたから」
母親は泣きそうな笑顔を武志さんに向けて、家を出て行った。そこから次に会ったのは母方の祖母が亡くなったときだった。
「母親とは祖母の告別式で会ったのですが、私はもう中学生でした。それまでの間、母親は私の誕生日の度にプレゼントを贈ってくれていて、そのときにお礼の電話をするだけの関係性でした。その電話もお礼を伝えた後は何を話していいかわからず、母親から『学校はどう?』というような質問に答えるだけで終わっていました。私がいつでも連絡できるように、母親の住所と電話番号が書かれた紙が冷蔵庫に貼ってあったのですが、私は一度も行動を起こしたことはありませんでした」
【父親とは友だちのような関係で、2人でいることが当たり前だった。次ページに続きます】
