取材・文/鳥海美奈子

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機山洋酒工業の約1haの自家農園では、日本独自のぶどう品種である甲州やブラッククイーンの他にシャルドネ、メルロやカベルネ・ソーヴィニヨンなどの欧州系ぶどう品種も栽培されている。

ワイナリー近くのぶどう畑は、笛吹川がもたらした水はけの良い砂質土壌で、土石流が堆積したと思われる岩も多く見られる。北にある乾徳山から続く、なだらかな南斜面だ。

ワイナリー近くの甲州はヨーロッパ式の垣根仕立てで栽培されている

甲州は、日本における昔ながらの栽培法である棚仕立てが管理しやすいと、土屋さんは言う。強い樹勢をコントロールできるからだ。

「私が目指すのは、虫や病気の害のない、生理的に適熟した健全なぶどうの収穫です。甲州はセミアロマティックなぶどう品種で、その良さを消したくないから醸造にはステンレスを使います。樽を使うと果物のもつ香りを表現できない。ただ少しだけ味に厚みを加えたいので、澱のうえにワインを置くシュール・リーという手法を取ります。でも、それも一般よりは短めです」

ぶどう畑では農薬や殺虫剤、肥料も必要であれば使う。もちろん、いたずらに使用しているわけではない。虫の発生やベト病などの病気の恐れがあるときに、適量使うのだ。ぶどうの木の上にはビニールをかけているが、それも雨の多い日本で病気を防ぐためにトータルで考えて、選択したものである。

雨除けのビニールがかけられたぶどう畑
雨除けのビニールがかけられたぶどう畑

「つねに大事なのは観察と思考です。人というのは、そもそも思い込みとの闘いがある。たとえば、ぶどうに病気が出たらどの部分を、どのように見るかが大切です。“こう思いたい”というその思い込みを排除して、“これがこうだったから、こうなった”と冷静に判断する。もちろん、それでも思うようにいかないこともあります。それほどワイン造りというのは多面的なものなのです」

日本ではとかく「ナチュラルワイン」という言葉が独り歩きし、「農薬や殺虫剤を使っていなければ善」とのイメージが拡散している。しかし、その「ナチュラルワイン」の定義すら、あやふやだ。そういったものごとの捉え方は、土屋さんの思考の対極にあるといっても過言ではないだろう。

ブラック・クイーンなど赤ワインの醸造に使われる樽
ブラック・クイーンなど赤ワインの醸造に使われる樽

「ヨーロッパにもナチュラルワインがあります。でもヨーロッパが日本と違うのは、湿気が少なく、菌やバクテリアの繁殖が圧倒的に少ないということです。だから、ぶどうをそのまま放っておくだけでもワインらしきものはできる。でも、日本でそういう造り方をすると、ワインにとって好ましくない酢酸菌などが入ってしまうケースが多い。“ヴァン・ナチュールで、テロワールを表現しています”、“畑がビオだから自然な味わいのワインになりました”と言って、周囲がその味わいをきちんと精査することもなく、ただ“すばらしい”と拍手する風潮には疑問が残ります」

“テロワール”、“ヴァン・ナチュール”というワンフレーズで語ったほうが周囲のウケがいいことは、土屋さんも十分承知している。しかし、「自分はそこにつけこむことはできない」と話し、そして言葉を続けた。

「わかりやすいワンフレーズで都合よくごまかしていくとより本質的なもの、ワインの真の姿に到達できないからです。自分は誠実に、論理的にワインを造っていくしかないと思っています。たとえば“樽の香り”といったときに、どのような成分なのか多くの人は考えないまま安易に言葉として使ってしまう。そういったことも思考する必要があると思います」

ワインの味わいとは生産者の思考の痕跡、そして軌跡なのである。

山梨・塩山という地に生まれ、ここでワインを造り続けていく
山梨・塩山という地に生まれ、ここでワインを造り続けていく

現在、56歳。山梨の歴史あるワイナリーに生を受けた自身を、土屋さんは改めてこう語る。「いい意味でも悪い意味でも、土地に縛り付けられてきた」と。近年は他の職業から転身して、一からワイナリーを起こす人も少なくない。その立場であれば、自分で理想的と思える土地を探し、新たな挑戦をすることもできるだろう。しかし、代々続くワイナリーに生を受けた土屋さんには、その選択肢はないのだ。

「地縁、血縁を大事にするこの地の昔からの慣習もありますし、自分はそれを断ち切ることはできない。このなかで生涯やっていく。それが僕にとっては宿命なんです」

その一方で、昔からの地域コミュニティに大いに支えられているとも話す。

「地元の松里の地域サロンにも10年ほど関わっています。歴史や農産物を発掘したりと、地域の魅力を伝えるための自由なサロンといった感じです。ワインは農業であると同時に工業でもあり、そういった地元の方や業者さん、ワインを購入してくださるお客さまなど、さまざまな方たちに助けられて、僕たちの仕事は成り立っています。自分はひとりではないのだと気づくことができたのもまた、ワインのおかげです」

キザンワイナリー
キザンワイナリーを訪れるとワインの購入もできる

土屋さんの仕事は、朝7時から始まる。家族経営のためぶどう栽培や醸造、配達やワイン販売などもすべて妻の由香里さんとふたりで行う。休日はない。17時頃に仕事を終えると毎夜、必ずワインを飲む。そして21時30分には就寝する。

「今日もまた働くことができた。ありがとう。そんな1日の労働への確認と感謝のために、夜はワインを飲みます。自分のワインを買ってくださるお客さまにも、そうやって日々飲んでもらえたらうれしいですね。時間があるときは本を読んだり、人と会ったりします。ワインを造るには観察力や考察力、実行力といった個人の資質そのものを上げていくことが大切だから。本は、朝永振一郎や寺田寅彦など科学者たちが書いたエッセイが好きですね。理系、文系という枠にとらわれずに世界を捉えようとしているところに惹かれます」

長引くコロナ禍は、土屋さんのワイン造りにも多大な影響を与えた。昨年4月に緊急事態宣言が発令されたあと、「塩ノ山ワインフェス」が開催中止になった。山梨のワイナリーに訪問し、併設するショップでワインを買ってくれる消費者の流れが止まり、売り上げは大幅減となった。

「在庫が膨らんでも、契約している農家さんのぶどうの購入を急激に減らすことはできません。営業を専門にやるような人間もいない私たちのような小さなワイナリーは、これまでと同じように地道にワインを売っていくしかないと思っています」

KIZAN WINE
これからもデイリーワインを造り、歴史を刻み続ける

その一方で、ワインの価値を再認識もした。ワインへの信頼は、なおいっそう揺らぐことがない。

「ワインは人間の生命維持に不可欠なものではありませんが、人間らしい豊かな生活に必要なものであることは数千年にもわたるワインの歴史が物語っています。新型コロナという感染症を経て、今後はさまざまなものの価値が再評価されていくでしょう。そのなかには整理されるものも出てくるはずです。でも、ワインという価値は残っていくのではないかと思っています」

昨夏、ワイン誌『リアルワインガイド』に、土屋さんはこんな文章を寄せている。

「大震災や毎年繰り返される水害、そして今回のウイルス。自然の前に人間は時として無力です。近年のワイン業界では『自然』がキーワードになっていますが、この言葉の前では謙虚になるべきだと改めて感じます。とはいえ人間は自然にすがっていくしかありません。今回も大きな危機ですが非常には日常を問い、日常に非常を問いたいものです。日々を大切に、今やっていることは、乗り切った後でも必ず意味を持ってくるとの思いを持って、淡々とやっていくつもりです」

長引くコロナ禍の今夏もぶどうは実をつけ、そして土屋さんは畑に立ち続ける。

取材・文/鳥海美奈子
2004年からフランス・ブルゴーニュ地方やパリに滞在して、文化や風土、生産者の人物像などとからめたワイン記事を執筆。著書に『フランス郷土料理の発想と組み立て』(誠文堂新光社)。また現在は日本の伝統文化、食や旅記事を『サライ』他で執筆している。

 

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