■日本の食文化の誇りをワインで表現したい
その頃、曽我さんはある1本のワインと出逢う。フランス東部のジュラ地方で、「ヴァン・ナチュールの神」とも謳われたピエール・オヴェルノワがプールサールというぶどう品種で造ったワインである。
「当時、蕎麦にはまっていて、よく食べ歩いたんですよ。日本の出汁は、味そのものは淡いけれど、深みや幅があり、余韻も長い。オヴェルノワのワインは、まさにそんな日本の出汁を思わせた。じわりとした旨みが口中に広がり、どこまでも余韻が続く。ピノ・ノワールで、こういった出汁の味のようなワインができないか。それこそが、日本的なピノ・ノワールの姿なのではないか。自分の目指す味わいのモデルが見えた気がしたんです」
それまではフランス的なピノ・ノワールを造ることが、ワイン後進国の日本にとっての目標だった。しかし日本の風土や暮らしにより育まれた、日本人として美味しいと感じられるものを、素直にワインとして表現していくと、曽我さんはそう決心した。
「僕自身は、ご飯にお味噌汁や漬物などの和食が好きです。そういう滋味で旨みがある食事には、やはり同じトーンのワインが向く。濃厚でパワフルで、高アルコールな海外のワインは和食には合わないと思います。僕にとってはエレガントといわれるブルゴーニュのピノ・ノワールさえ、時にパワフルだと感じられるんですよ。雨の多い日本では、ぶどうは水分を吸うため凝縮感というよりは、繊細な味になります。そこに出汁のような旨みを表現するのに、僕の粘土を含んだ火山性土壌の畑は向いているんです。ワインのPHが高い状態、つまり有機質が多く弱酸性の環境の土壌では、微生物が動きやすく、土壌中のアミノ酸含量も多くなります。間接的にぶどうやワインのアミノ酸含量が増えるんです」
たとえば味噌も醤油も漬物も、日本には地域独自の食文化がある。漬物ひとつを取っても、地域による多様性があり、野沢菜や奈良漬、すぐき菜など様々だ。ワインもそれと同様に造られるべきだと、そう考えた。
「”こういう味わいのワインをつくろう”ではなく、ワインを通して風土を映す。日本の食文化の誇りをワインで表現したいんです。その味わいを真似をしたいと他国の人が思っても、できないようなワインを造りたい。真似ることができるなら、真似てみろ、と。そのうえで僕がオヴェルノワのワインに感じたように飲んですごいと涙が出るようなものが造れたとすれば、それが僕にとっての到達点になり得ると思います」
そのピノ・ノワールを、口に含んでみる。チェリーや黒スグリといった赤い果実、そこにクローブやシナモン、ミントなどの香りが加味されていく。しばらく置くと香りはより開き、腐葉土やマツタケといったニュアンスが顔を出す。ピノ・ノワールならではの風格はありながら、滋味な旨みがいつまでも口中に残り続ける。
「自分のワインにイメージするのは、里山の森の香りです。例えば寺社に行った時、そこには森があって、杉や土の香りがしますよね。その後ろには山があって、お墓のお線香の匂いもほのかに漂っている。そんな日本人なら誰もが心に抱く懐かしい原風景を感じられる、とでもいうんでしょうか」
曽我さんが日本ワインのトップ生産者として語られるのは、単にその味わいが魅力的なだけではない。「日本のピノ・ノワールとはなにか」という思考の結晶と哲学が、そのワインからほとばしるからだろう。
そんな曽我さんの思想性は、どのような環境から育まれたのか。
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