江戸時代から続いてきた鮨、天ぷら、蕎麦、そして昭和の時代に発達した焼き鳥は東京の食文化。老舗から新店まで、足を運びたい店を紹介する。

基本に忠実に、しなやかな心で江戸前の味を伝える

㐂(き)寿司 人形町

彩りが目を引く手綱巻き3300円。芝海老のおぼろの甘さが箸休めにもなるひと品で、芸者衆に人気があったという。

風格ある日本家屋が老舗の佇まいを醸し出す『㐂(き)寿司』。創業は関東大震災が起きた大正12年(1923)の12月、焼け野原だった人形町に店を構えた。ちょうど100年を迎える店を継ぐ4代目の油井一浩さん(53歳)は話す。

「私の曽祖父が明治末頃に台東区の柳橋で鮨屋を開き、祖父が暖簾分けをするような形で独立しました。人形町はかつて芳町と呼ばれ、柳橋と並び称される花街。昔は多くの鮨屋や料亭があり、旦那衆で賑わっていたそうです」

当時、花柳界への出前鮨として盛り込まれたのが、技巧を凝らした艶やかな手綱巻きである。手綱巻きとは車海老 と小鰭、芝海老のおぼろで作る江戸前鮨の手法のひとつ。ほかにも「唐子づけ」と呼ばれる才巻海老とおぼろを握る細工鮨、煮烏賊に刻んだ干瓢などを混ぜた酢飯を詰める「印籠詰め」など。このような鮨を作れる職人が減るなか、油井さんは普通の仕事として教えられたという。

江戸前鮨は冷蔵技術の発達する前に確立したため、生魚の保存を目的に煮る、蒸す、酢で締めるなどの下拵えを施した。今は魚の持ち味を最大限に引き出すため、それぞれの店で独自の方法を研究し極めている。油井さんも、それらの店で小鰭や煮穴子を味わえば店代々の味が明確に伝わると話す。

酒と砂糖、醬油の煮汁に長崎・対馬産の真穴子を入れ、落とし蓋をしながら15分ほど煮る。ふわりとした煮穴子に仕上げる。
小鰭に振り塩を施す。塩加減はその日の魚の状態で加減する。塩は天然のミネラルが多い粗塩と塩化ナトリウムを含む並塩を使う。

『㐂(き)寿司』の小鰭(こはだ)はまず丁寧に開いて笊に並べ、塩を振り30分ほど塩漬けにする。その後水で洗い流し、砂糖と醤油を入れた合わせ酢にうっすらと膜ができる程度に浸す。漬ける時間は季節や魚の状態を見ながら、長年の経験値で計る。

握った小鰭を口に運ぶ。美しい光沢を放つ小鰭はほどよい酢締めで旨みが凝縮され、なおかつ軽やかで、酢飯の米の甘みとよく調和する。この独特の味わいを求めて足繁く通う客が数多くいる。

流行に惑わされず実直に

昼の握り5500円。前列左上から玉子、帆立貝、才巻海老唐子づけ、穴子、後列右上から胡瓜巻き、鰹、シマアジ、鮪赤身、墨烏賊。

油井さんが店に入ったのは26歳のとき。会社勤めを経て、忙しい店の手伝いから始まり、やがて父である3代目の油井隆一さんとともに築地市場を歩き、魚の目利きを叩き込まれた。隆一さんはフランス料理を学び、東京會舘で腕を振るった異色の経歴の持ち主で、左利きだったこともあり家業を継いでからは苦労を重ねたという。仕事一筋の真っ直ぐな性格で、多くの人に慕われた。

「5年前に父が急逝し、私が4代目を継ぐことになりましたが、父からは無理せずに、やりたくなければ辞めればいいと言われたこともあります。今、馴染みのお客様から“ようやく鮨屋の旦那になった”と声をかけていただけるようになり、嬉しいですね。流行り廃りに惑わされずに実直に鮨を握ることが私の役目です」(油井さん)

基本を守り特別なことはしない。これが『㐂(き)寿司』の味だという太い幹を育ててくれた先達に感謝し、油井さんはそこに独自の花を咲かせる。時代に合わせ、飄々としなやかに日々の仕事をすることが老舗を守るということなのだろう。

芸妓の置屋を昭和27年(1952)に改装した店内は、年季の入った柱や壁から独特の空気感が醸し出されている。この店ならではの味を求める常連客と、それに応える油井さんやベテランの職人たちとの和やかな雰囲気が満ちる。好みで鮨を単品で注文できるところも昔ながらの江戸前鮨らしい。まずは一貫、一世紀にわたり培われた江戸前の味を噛みしめたい。

4代目の油井一浩さん、昭和45年、人形町生まれ。他店での修業はせずに下働きを経て板場に立つ。弟の厚二さんとともに店を守る。

㐂(き)寿司

東京都中央区日本橋人形町2-7-13
電話:03・3666・1682
営業時間:11時45分~14時30分、17時~21時30分(土曜は21時まで)
定休日:木曜、日曜 22席、要予約。

東京メトロ・都営地下鉄人形町駅から徒歩約2分、東京メトロ水天宮前駅から徒歩約5分。

※(『㐂(き)寿司』きずしの「き」は七が3つ。)

※この記事は『サライ』本誌2023年9月号より転載しました。取材・文/関屋淳子 撮影/高橋昌嗣

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