海道一の弓取りとも称された今川義元の尾張進軍は、若き織田信長にとって最大の危機だった。出陣直前に〈人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり~〉と幸若舞「敦盛」を信長が舞ったこと、具足、物具をつけさせながら立ったまま食事をとったことなどが記載されているのは『信長公記』。

食事を取り終えた信長は、清須城を単騎駆け出し。それを追って小姓の若武者5人も馬上の人となる――。桶狭間合戦を描くドラマで繰り返し流された名場面だ。

『信長公記』にはこう記されている。〈其時の御伴には御小姓衆、岩室長門守、長谷川橋介、佐脇藤八、山口飛騨守、賀藤(加藤)弥三郎、是等主従六騎、あつた迄三里一時にかけさせられ〉――。

桶狭間の合戦に臨む際に信長の最側近だった5名――。このうち、佐脇(藤八)良之は、前田利家の実弟で佐脇家に養子に入った人物。佐脇家は室町幕府将軍足利義輝の奉公衆にも名を連ねていたともいわれる名門だ。2002年の大河ドラマ『利家とまつ』では、利家(演・唐沢寿明)の縁者として竹野内豊が演じた。

長谷川橋介は、信長側近の長谷川与次(よじ)の弟で後に信長側近となる長谷川秀一の叔父にあたる人物。

加藤弥三郎は、熱田に居を構える豪族〈熱田加藤家〉の一族。松平竹千代(後の徳川家康)が織田方に人質になっていた際には、加藤家に滞在していたといわれる。

山口飛騨守、岩室長門守も信長の側に仕える小姓であった。

5人の若者は誰一人〈信長の天下〉を知らずに逝った

桶狭間の戦いを前に、松平元康(演・風間俊介)が兵糧入れを行なった大高城址(名古屋市緑区/国史跡)。本丸及び二の丸の曲輪跡、土橋、空堀などの遺構が残る。

桶狭間の戦いを前に、松平元康が兵糧入れを行なった大高城址(名古屋市緑区/国史跡)。本丸及び二の丸の曲輪跡、土橋、空堀などの遺構が残る。

たった六騎で出陣した信長主従だったが、徐々に後続が追いついていく。

信長は、家督継承後に今川方に奪われた鳴海城(名古屋市緑区)を取り囲むように善照寺砦、丹下砦、中島砦(いずれも名古屋市緑区)の三砦を築いていたが、そのうちの善照寺砦に入った。現在は公園になっている善照寺砦は比較的高台にあり、眺望に恵まれていた。

この時点で、信長が鳴海城と大高城(松平元康が入城/名古屋市緑区)の間に築いた丸根砦と鷲津砦(いずれも名古屋市緑区)は今川方に奪われていた。

【善照寺砦に入った信長。次ページに続きます】

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