文・写真/原田慶子(海外書き人クラブ/ペルー在住ライター)
ペルー・アマゾナス州南部のチャチャポヤス地方。“チャチャポヤ=雲(または霧)の民”の名の通り、うっそうとした雲霧林が広がる雨の多い地域だ。1996年の秋、その日はいつになく激しい雨が降っていた。雷鳴が轟き、閃光が闇を切り裂く。一条の稲妻が小高い山に囲まれた「コンドル湖」の岸辺にその手を伸ばし、周囲の木々をなぎ倒した。数日後、放牧にやってきた地元の農民が、コンドル湖の対岸に現れた“赤い何か”を偶然見つける。それはチャチャポヤ時代の墳墓「チュルパ」の一部だった……
世界の考古学者を驚かせた、雲霧林でのミイラ発見
紀元800~1470年にかけてアマゾナス州一帯に栄えた「チャチャポヤ文化」。その代表的な遺跡には、“北のマチュピチュ”あるいは“第二のマチュピチュ”として名高い「クエラップ遺跡」が挙げられる。
チャチャポヤ文化は、その独自の埋葬方法でも有名だ。断崖のくぼみに漆喰や石材を使って墓を作り、そこに死者を葬ったのである。クエラップ遺跡を中心に、北部では人型をした「サルコファゴ(石棺)」が、南部では「チュルパ」もしくは「マウソレオ(霊廟)」と呼ばれる家型の墳墓が作られた。その多くはスペイン人によって破壊されてしまったが、今も当時の風習を伝える貴重な墓所がいくつか残っている。
村人からチュルパの中に多数のミイラがあるという報告を受けたものの、考古学者たちは懐疑的だったという。ミイラ作りやその保存に何より欠かせないのは乾燥した気候だ。そしてここは“チャチャポヤの地”である。「こんな湿度の高い地域で、ミイラが保存できるわけがない」というのが、当時の専門家たちの共通認識だった。
しかし、1997年にコンドル湖を訪れた考古学調査隊のメンバーは、破壊されたチュルパ内部に散乱した大量のミイラと人骨、そして考古学遺物を目の当たりにする。これまでの常識を覆す「雲霧林でミイラ発見」のニュースは、瞬く間に世界を駆け巡った。
500年以上前のミイラが残っていた秘密は、チュルパを取り巻く特殊な局所気候にあった。発見時、石灰岩のくぼみに造られたチュルパの内部が涼しく乾燥していたことから、調査隊はこの場所が天然の保冷庫として機能していた可能性が高いと推論した。だが、盗掘者による無分別な破壊と略奪によって、築造当初の環境は大きく変化してしまっていた。調査隊が到着した時には、すでに腐敗し始めたミイラもあったそうだ。ミイラ研究で実績のあったミイラ研究センター(セントロ・マルキ)が調査に乗り出し、被葬者の回収作業が始まった。レイメバンバ村郊外にある「レイメバンバ博物館」には、これらの貴重なミイラが保存されている。
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