昨年夏『サライ.jp』に連載され好評を博した《実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅》。九州・枕崎駅から北海道・稚内駅まで、普通列車を乗り継いで行く日本縦断の大旅行を完遂した59歳の鉄道写真家・川井聡さんが、また新たな鉄道旅に出た。今回の舞台は北海道。広大な北の大地を走るJR北海道の在来線全線を、普通列車を乗り継ぎ、10日間かけて完全乗車するのだ。

文・写真/川井聡

>> 前回【4日目】から続く

【5日目のルート】

旭川から釧路までつながっていた釧路本線が、根室まで開通したのは、1921年のこと、北海道の鉄道の中でも比較的早い開業だ。根室の町は北海道の南東に突き出た根室半島のほぼ中間にある。南の太平洋側に花咲港、北のオホーツク海側に根室港という良港をもっている。根室港はその先に連なる千島方面への玄関口だ。

根室駅

根室本線の全通が早かったのは、根室港へのルート確保や道東の開発という目的が大きかったせいもあるのだろう。開通にあわせ釧路本線は根室本線に改称。根室駅は根室本線の主役といえる存在となった。

宿の窓から眺めた根室駅

朝の根室駅は、主役とは程遠い気配で、薄曇りの空の下にたたずんでいた。今日のルートは、根室から「本線」ばかり3路線。根室、釧路、そして知床半島の付け根にある斜里を経由し北見まで、道東をZ字型に移動する。

始発列車は5時31分だが、さすがにそれに乗る気はしない。夜中に着いて早朝出発では、根室に失礼。というか、単純にもったいない。釧路~網走の接続を考えて、出発は11時の列車にした。

問題はそれまでどうするか?だ。納沙布岬や根室港など行きたいところはいくつかある。その中から選んだのは東根室駅。日本最東端の駅である。そこまでタクシーで行ってみる。気がむけばそのまま根室駅まで乗車すればいい。宿に荷物を置いたまま、ご主人に声をかけて外出した。

駅前からタクシーに乗ってしばらく。住宅が続く国道から砂利道に入って坂を下ると、斜面の途中に東根室駅があった。

日本最東端の標識が立つ東根室駅

根室本線は終点の根室駅の近くになって、釣り針のようにググっと曲がっている。「し」の字を左に倒したような釣り針型に曲がっている。直線でつなげば距離が短縮できたのに、あえてこのような線形にしたのはそこに深い谷があるからだろう。勾配や大きな橋を作るより、少々遠回りになってもいいから平坦な道を選んだというわけだ。やがて市街地もそちらに広がり、カーブの途中に東根室駅が置かれ根室駅から日本最東端の座を奪ったのである。

東根室駅は通学生には大事な駅だ。

「日本最東端駅」の座を巡る闘い(そんなものはないが)は、けっこうおもしろい。初代は当然、根室駅である。しかし1934(昭和9)年に根室港駅(1964年廃止)が開設。根室駅の北北東に登場した。ただしこれは支線ではなく根室駅構内という扱いだったそうなので、どう判断すべきか悩ましいところだ。その後1961年に東根室が開業し、現在の状況となった。

ただしこれは国鉄だけの話で、「闘い」には私鉄も参戦している。1929(昭和4)年に開業した根室拓殖軌道という鉄道は、根室市街からさらに東の歯舞(はぼまい)駅まで全長15.5㎞の私鉄である。線路も車両もおもちゃのような路線だが1961(昭和36)年に廃止されるまで、日本最東端の鉄道であり、終点の歯舞は日本最東端の駅であった。

かつては、海産物を積んだ貨物車が並んだ根室駅。ホームからは「地平線」が見える。

根室駅の地図入り看板。

そういえば、花咲線と釧網本線は、こういう辺境のミニ鉄道の宝庫であった。いまではどれも廃止され、それから半世紀以上たっている。車窓から遺構を確認することはかなわないだろうが、風景を眺めながら空想をしてみたいと思った。

東根室駅のたたずまいが気に入り、結局上下二本の列車を見送った後、タクシーで根室駅に戻る。ここまで来たのだから、その突き当り、「最果てのさいはて」にあるレールを見てみたい。

駅を左手に見ながらほんの数分線路ぞいの道を進む。蕎麦屋の角を曲がったところに目的地はあった。駅のホームからまっすぐ伸びたレールは車止めで打ち切られ、その車止めはパイプの白い柵で道路と仕切られている。

「さいはて」はそっけないほどシンプルだった。もっとも奇妙に飾り立てられ、妙に「インスタ映え」を狙うより、この方が潔くっていいかもしれない。

道路を挟んで反対側にはそのまま広いスペースがある。かつては貨物や客車の入れ替え用に、あと100メートルほど先まで延びていたようだ。

そんなふうに朝を過ごしていたら、あっという間に列車の時間が来てしまった。今日の一番列車は11時ちょうど発車の釧路行き快速「はなさき」だ。

ちなみに「花咲」は根室半島の旧名でもあり、かつての駅名でもあり、特産のカニの名前でもある。その語源は少々ややこしい。アイヌ語で鼻を表する地名からハナを転じて花にしたという説。根室特産の花咲ガニは地名から付いたという説と、茹でると真っ赤になり花が咲いたようになるのでそこから来たという説の二説。そして花咲ガニが獲れるから花咲という地名ができたとまで、実に入り組んでいる。今となってはその語源を確かめようもないが、花咲線の快速「はなさき」号は、日本の鉄道でトップクラスに美しく愛らしい名の組み合わせではないだろうか。

11時ちょうど。いかにも駅長さん、という雰囲気の駅長に見送られて根室駅を発車。釧路を目指す。

落石付近を走る。

「はなさき」は快調に根釧原野を走る。落石付近では左手に太平洋を望みながら、北国独特の草原にSカーブを描く。車窓はひたすら荒涼たる美しさが続く。おそらく、開業のころとさほど変わらない風景なのではないだろうか。

厚床駅で分岐し北上する旧国鉄・標津線は、そんな殖民軌道を改良し、国鉄線として開業させたものである。標津線の途中駅を起点にする軌道が、根釧台地の開拓地に血管を伸ばすように走っていた。

厚床駅で見かけたターンテーブルの跡。この駅はかつて殖民軌道・根室線の起点であった。入植が進むにつて需要が高まり、国鉄標津線が建設された。

糸魚沢から厚岸の間は別寒辺牛(ペカンペウシ)湿原の真ん中を駆ける。沿線の道路整備がすすむまで、根室本線は沿線住民の命の綱でもあった。大都市を結ぶ本州以西の鉄道に比べ、北海道の鉄道は、多く開拓の使命を担ってきた。陸と水との境も明確ではない湿原に鉄道を敷設し維持することは並大抵のことではない。JR北海道はかつての使命と引き換えに生まれた責任を負わされているのである。

そんなことを考えながら細く広く長く大きく変化する湿原の水面を眺めていたら、あっという間に厚岸に着いた。ここから暫くは、海岸の丘から海を眼下に見て走る。

太平洋岸に出たところでは、砂浜で工事をやっていた。護岸工事だろうか、線路を守るのも大変なのだ。

車内で乗客の一人とこんな話を交わした。

「北海道の鉄道を守ることは、北海道を守ることではないよ」という。

鉄道はもう不要だ、ということだろうかと思ったがそうではない。

かつて、千島に行く人たちをつないでいた根室本線や根室港、そして根室地域の町々。こうした地域を守ることができなければ、最終的に北海道だけでなく、国の力が落ちてしまう。

「大きな声では言えないけどな」と前置きして「北方領土を返せもいいが、その前に北海道の辺境を守れと言いたいわけさ」。

「かつて花咲半島で大量に獲れたカニも今はすっかり減少した。北方領土のカニだって、戻ればあっという間に減っちゃうよ」

《5日目・その2に続く!》

 

【5日目・その1 乗車区間】

根室~釧路(根室本線)

文・写真/川井聡
昭和34年、大阪府生まれ。鉄道カメラマン。鉄道はただ「撮る」ものではなく「乗って撮る」ものであると、人との出会いや旅をテーマにした作品を発表している。著書に『汽車旅』シリーズ(昭文社など)ほか多数。

 

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