昨年夏『サライ.jp』に連載され好評を博した《実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅》。九州・枕崎駅から北海道・稚内駅まで、普通列車を乗り継いで行く日本縦断の大旅行を完遂した59歳の鉄道写真家・川井聡さんが、また新たな鉄道旅に出た。今回の舞台は北海道。広大な北の大地を走るJR北海道の在来線全線を、普通列車を乗り継ぎ、10日間かけて完全乗車するのだ。

文・写真/川井聡

>> 【4日目・その1】から続く

【4日目の予定ルート】

 


釧路行きの列車は、新得駅を12時57分に発車する。乗車距離172.1kmは、今回の旅でも最長クラス。そして、日中のほぼすべてを費やす列車である。走る旅の我が家は、いつも通りのキハ40。最近はこの若草色の帯を見ると安心するようになってきた。


御影駅の改札ラッチは、どうやら本物の御影石。御影という同じ名前の駅が北海道と神戸にある。御影石は神戸市の御影町で産した花崗岩に、産地の名を冠して命名されたもの。その御影石が採れることから、はるばる北海道の駅名ともなった。地名が石の名をつけ、石が地名を名付けたのである。待合室の扉はアルミサッシに変わったが、ラッチだけはいまも堂々としたものが残されている。

北海道のローカル普通列車にクーラーはない。しかし今日のような天気のいい日は、それなりに温度が上がる。車内の温度計を見たら32℃まで上がっていた。少々暑いが窓を開けて走っていると、早さといい、風の匂いといい、景色といい、じつにちょうどいい。そして、眠い、実に眠い。もう降りたくない。

この旅の目的地は、やはり列車なのだよ。


帯広の手前から高架に入る。道央最大の都市に到着だ。開拓使は北海道開拓のベースを札幌に定めたが、降雪量や地味の豊かさでは帯広の方が格段に暮らしやすそうだ。


滝川~釧路直通時代は、帯広駅で一時間ほどの停車があった。現在は短くなったが、それでも30分余りの停車である。現在の高架駅舎は1996(平成8)年に駅の裏手にあった帯広機関区や貨物ヤードの跡地を利用して作られたもの。駅前の広場に出ると、高架工事をする前の帯広駅の位置を示すように線路が埋められていた。

豚丼の名店「ぱんちょう」で持ち帰り用の弁当を作ってもらおうと思ったが、近づいてみるとあいにく店は休みらしく、暖簾もかかっていない。諦めて戻ろうと振り返ったら、エゾシカの彫刻が水を飲んでいた。ちょうど木陰なので、一瞬本物かと思うほどリアルで、つい餌でもやってしまいたくなる。
帯広駅は、中央コンコースを挟んで、上り線と下り線の改札が分かれている。宮崎駅がこういう構造になっているが、ほかではあまり見たことがない。南と北で何故か同じような構造になっているは、偶然だろうか。

ホームでは、釧路行きが静かに発車を待っていた。向こうのホームには14:30発の新得行き。こちらは14:47発である。

15時38分、豊頃駅着。空が美しい街である。駅から2㎞ほど離れたところに、かつて絵本で有名になった「はるにれ」の木がある。もちろんホームからは見えないが、こんな空の下なら美しい木に育つだろうと思わせるほどの群青だ。

16時48分、尺別駅で上りの特急「スーパーおおぞら」10号と列車交換。跨線橋の上に登ると、彼方に太平洋の青い海が見えた。この付近は、太平洋の波打ち際を走る。
太平洋を眺めながら走り、音別川の橋を渡る。窓の外を眺めると、列車の陰が河原の凹凸通りにデコボコしながら一生懸命ついてくる。

それにしても眠い。退屈などまるでない。ひたすら心地よくて、ひたすら眠い。気温は20℃。窓からはホコホコと光が当たる。ゆりかごみたいな列車だ。


単調で、でも見飽きない風景が続く

ときどき人が乗り、

ときどき人が降りる。

ときどき波の音が聞こえ、

ときどき列車と行きちがう。

東庶路信号所で、帯広行き2530Dと交換。今日は日没近くなっても雲が出てこない。どこかの大陸のような天候だ。

新富士駅を出てまもなく釧路駅。新釧路川を渡る。釧路湿原と太平洋のつなぎ目だ。

釧路駅到着。ホームの柱にひとつ残らず、駅名を記したホーロー看板が取り付けられている。

到着後、あわただしく行き先サボの交換。普通列車はのんびりと忙しいのだ。

駅前広場から釧路駅を眺める。線路に沿った横長のコンクリート造り。実用性を優先した国鉄らしい駅舎である。札幌や旭川などもそういう駅舎だったが、現在はデザイン性も重視したものに建て替えられている。そんな中で釧路駅は国鉄時代のたたずまいを残す、今は数少なくなったがっしりと「国鉄らしい」駅舎である。

釧路駅の2・3番ホームは、屋根も柱も昔のまま。蒸気機関車の煙が漂ったホームがいまも現役だ。駅前に出て街を歩こうかと思ったが、駅で次の列車をゆったり待つことにした。
釧路駅のコンコースにある商店街へ。いつも行く甘味屋で夕食替わりの弁当を買おうと思ったが、閉店したらしく別の店が入っていた。変わらない駅も少しづつ替わっている。

釧路から根室までは迷うところだ。日没になるから本来なら翌朝の乗車にしたい。でもそうすると、明日は一番列車で根室に向かわねばならない。それはそれでタイトすぎる。幸い、空にまだ青みが残っているので、列車に乗り込んで根室に向かうことにする。日中の景色は明日の列車で眺めよう。宿は……まぁ何とかなるだろう。

釧路発18時56分の列車まで一時間前後は時間がある。そんなに遠くはいけないので、駅をゆっくり眺めてみる。

空がすっかり蒼くなった。代行バス2本を入れて、今日5本目の列車に乗車だ。しかも乗車距離は135.4㎞もある。そこを約2時間40分かけて進む。

夕方7時前というのに、車内は下校の学生でいっぱい。夕方4時台の列車が出た後はこの列車まで間が開くから、通学するのも大変なのだ。荷物を網棚に上げ、「常連客」に座席を譲る。

最後部のデッキに出ると、そこにも常連客があふれていた。柱にもたれたり、床に腰を下ろしたり思い思いの格好で乗車している。彼らの横に腰を下ろさせてもらいカメラを構える。聞くでも無く流れてくる話題は「誰が可愛いか?」時代も場所も超える、高校生不滅のテーマである。
尾幌駅を過ぎたころにはすっかり夜になった。その間もひと駅ずつに学生が降り、厚岸に着くころにはすっかり空席が多くなった。もう、すっかり夜汽車である。

 

網棚に荷物を上げてボックス席に戻ると、おばあちゃんが座っている。

「昭和35年の津波で親戚の見舞いに来たの。春に来て、そこで夫にもらわれて秋に結婚。どこに縁があるかわからないね。でも夫は50で脳溢血で死亡。代われるものなら代わってあげたかった。今はペースメーカー入れてるから、列車に乗って定期健診。あまり歩けないから駅からはタクシーで帰る」と語る82歳。

快晴の一日もまもなく終了。

おばあちゃんも、おじいちゃんも、学生もみんな降りて行く。

夜八時半の浜中駅。ホームの待合室には釧路行きの最終列車を待つ人がいた。

初田牛、別当賀、落石、昆布盛、個性的すぎるような駅名が連続する。でももはや誰も降りるような気配はない。真っ暗なホームに貨車を改造した駅舎だけが窓から蛍光灯の光をこぼしていた。このあたりで一番明るい建物のようだ。
夜9時42分 根室に到着。青天の一日。締めくくりは霧の駅だった。

ゆらゆらと着いただけなのに、根室はドラマチックな夜を用意してくれていた。列車を降りると水滴が顔に当たる。一瞬粉糠雨?と思ったがそうではなかった。駅がほんのりと海霧に包まれ始めているのだ。

ヘッドライトが白く、街の明かりは橙色に霧が包む。もうこれだけで、「来てよかった!」という風情。石川啄木なら「最果ての……」と詠むところだろうが、あいにくそんな素養はないので、ただ心の中で「うおーっ!!」と叫ぶ。

駅前の宿に荷物を置いて食事に出たら、町中が素敵になっていた。《5日目に続く!》

【4日目・その2乗車区間】
新得~釧路~根室(根室本線)

【4日目乗車区間】
新得~富良野~新得~釧路~根室(根室本線)

文・写真/川井聡
昭和34年、大阪府生まれ。鉄道カメラマン。鉄道はただ「撮る」ものではなく「乗って撮る」ものであると、人との出会いや旅をテーマにした作品を発表している。著書に『汽車旅』シリーズ(昭文社など)ほか多数。

 

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