昨年夏『サライ.jp』に連載され好評を博した《実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅》。九州・枕崎駅から北海道・稚内駅まで、普通列車を乗り継いで行く日本縦断の大旅行を完遂した59歳の鉄道写真家・川井聡さんが、また新たな鉄道旅に出た。今回の舞台は北海道。広大な北の大地を走るJR北海道の在来線全線を、普通列車を乗り継ぎ、10日間かけて完全乗車するのだ。
※本記事は2018年5月に取材されたものです。北海道胆振東部地震により被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。少しでも早い復旧と皆様のご無事をお祈りしております。
文・写真/川井聡
【8日目のルート】
「北海道の鉄道を救いたい!!」
昨日の列車であった高校生の話が、強烈に胸に残ったまま朝が来た。
彼女一人だけで、なんとか出来ることではないが、小さな灯がともったような気分である。
窓の外を眺めると、昨夜のぼんやりした夕焼けが予兆だったのか朝から小雨。
名寄駅は開業当時の面影を残す貴重な駅。時計台やかつての出入り口の部分には、雪対策の中折れ屋根(ギャンブレール屋根)が設けられている。
雨のおかげで、駅前のちいさな植え込みも屋根も、緑がいっそう映える。
宗谷本線3日目。今日の一番列車は7:50発の快速「なよろ」2号だ。旭川駅までの約84kmを一時間半ほどで走る。
名寄駅で上下列車の交換。旭川から到着したのは2両編成の普通列車。昨日、美深から稚内まで乗車した始発列車だ。二両編成で名寄まで来て、ここで後ろ一両を切り離す。
ホームはどれを見ていいかわからないほど標識が林立している。やがて音威子府駅からの普通列車が到着。ここから快速列車になって旭川まで走る。
国鉄型ローカル気動車の典型とも言える車内。通勤・通学の時間は過ぎたから満席というほどではない。それでも昨日の名寄以北よりははるかに混んでいる。
快速列車の途中停車駅は風連、士別、剣淵、和寒、蘭留……と北海道らしい駅名が続く。樹木希林さんのCMで有名になった比布駅にも停車する。
旭川駅で乗換え。
富良野行きの列車はこれ。これまでの車両に比べ全長が少し短いキハ150形。北海道のローカル線用に開発された車両で、カラーリングは富良野線用のもの。小さい車体に紫色のラインが可愛い。紫はもちろんラベンダーのイメージだろう。
乗車したら、リラックマのトランクが迎えてくれた。よく見ると辺りは大きなトランクが一杯。ここは観光路線なのだ。
向かいの席は賑やか。
「ほら、くるま走ってる!」
「あつ、あつ、おおきな町!」
車窓を眺めながら、一つ一つの景色に兄弟が盛り上がる。
「今日は遠足が雨で中止になったから、そのかわりに親子で遠足に来たんです」
「特急電車に乗ることはあるけれど、普通列車に乗ったのは初めて。」だそうで、そのぶん車内も車窓も新鮮に見えるみたい。
『このくらいの温かい服を持ってきて正解でした』
というのは、その隣のボックスにいたマレーシアからのカップル。緑豊かな時期とはいえ、南国から来れば北海道はひとしお寒いのだ。
JR北海道のコーポレートカラーは萌黄色。そんな若草色の光が流れる「遠足」の車窓。
それにしても「萌黄色」は北海道らしいいいチョイスだと思う。が、もしかしたら薄紫のラベンダー色でもよかったんじゃないかとも思う。今ではすっかり北海道各地で目にする色になっているこの色は、もともとは富良野のラベンダー畑をイメージしたものだ。
富良野線のほぼ中間、美瑛駅に到着。「遠足」の親子はここで下車。駅舎は地元名産の美瑛軟石で造られたもの。昭和27年に作られたが、今見ても古びた感じはしない。
この駅を過ぎるとなだらかな丘の重なりに、牧草やジャガイモの白い花、そして時折ラベンダーが輝く富良野らしい景色になる。
ラベンダーを今のような北海道名物にしたのは、富良野の農家の青年だ。富良野に来るたび、かつて彼から聞いた話を思い出す。かいつまんで紹介させていただくと、戦後、香水の材料として北海道各地でラベンダーが作られていた。だが70年代初頭、合成香料や輸入品の拡大で生産は一気に衰退。周囲が転作する中、ラベンダーに憧れて農家を継いだ彼は最後まで生産を続けたが、断腸の思いで刈り取りを決断する。
「畑に機械を入れて刈り取ってしまおうとしたら、頭の中で花の叫び声が響いたんです。自分はなんてことをしてるんだ!と、目が覚めました」彼は破産を覚悟で育成を続けた。
そんな折、国鉄のカレンダーで畠のラベンダーが紹介され、人気が徐々に高まっていった。現在は「ファーム富田」として、それこそ世界各国から観光客を集める名所となっている。
毎年、初夏から秋にかけて、中富良野駅~西中駅に開業する臨時駅「ラベンダー畑」は、彼が花を育てた農場への最寄り駅だ。鉄パイプで骨格を作った季節限定の駅だが、国内外から多くの観光客が訪れる。鉄道が農場を救い、農場が鉄道の利用者を生んでいる。
今、JR北海道は富良野線を経営が難しい路線にカテゴライズし、廃線の可能性が高まっている。ラベンダー畑駅に乗降する人が多いとはいえ、それだけでは厳しいのもうかがえる。だが「刈り取ってしまう」には惜しすぎる路線といえないだろうか?
ラベンダーが旅行者を集め、沿線地域や北海道全体のイメージアップにもつながっている。諦めのカテゴリーに入れるのは早いような気がしてならない。JRだけでなく、自治体もあわせて考えて欲しい問題だ。
美瑛~美馬牛の名所。谷間のアップダウンをつなぐ直線路。画面の真ん中に見えるのは、交差する道路の踏切。絶景を徒歩で眺められるポイントだ。その名も「原野第一線踏切」だ。
「絶景」を眺めに最前部に立つ。
お揃いの大きな旅行トランクをもって列車に乗っていたのは、中国柳州から来たという美女二人組。
美馬牛駅に停車。乗客は列車交換の停車時間を利用し、列車を降りて記念写真。ちなみに僕の後ろにも一人いる。
富良野で二人は下車。おおきな荷物は宿に置いて富良野巡りをするらしい。
富良野駅は今回の旅で二回目の訪問である。
前回、新得から代行バスを使って訪れたときに、ドライバーさんに教えてもらった「富良野オムカレー」を食べに行く。
肉や野菜のほか、米や卵まで富良野産を使用し、料金は税抜き1000円以下。富良野産の牛乳を付けるというのがだいたいのルール。味はインド風でも昭和の家庭風でも構わないそうで、喫茶店やホテルのレストランまで10件の店が味と工夫を競っている。
富良野オムカレーを教えてくれたドライバーによると
「ここはジャガイモ、タマネギ、ニンジン、牛・豚・ニワトリ・ヒツジ……富良野はカレーの材料が全部とれるんです!」
こうして地元を自慢できる名物が誕生しているのがうれしい。
遠くまでいけないので駅前のホテルのレストランへ。
お腹も味覚も充分満足したが、ここまで来たら、もう一つ食べねばならない!
この旅の定番と化しつつある駅そばだ。
富良野の駅ソバは全国の駅ソバ界(?)でも頭一つ抜けた素晴らしい命名だ。
その名も「圭子ちゃんの店」
もちろん店名の由来はオーナーの名前から。このそば屋も、もう何十年も続く「老舗」である。
待合室の角にしっかり店を構えているのは、北海道でよくみかけたスタイル。室内に漂う出汁の香りが食欲を誘う。暖簾の中に頭を入れおそばを頼む。キップのいい圭子さんが手早くおそばを作ってくれる。
駅の中にある個人店、今ではすっかり減ってしまった光景が北海道では健在だ。新得、遠軽、音威子府、そしてこの富良野。
話を聞くと、どこも「自分の店のそばが一番」という自信がひしひしと伝わってくる。駅ソバが鉄道旅行の一里塚になるひとときだ。
そばの写真を撮りたいが、あまりボリュームのあるものは避けたい。一番軽めのかけそばをすすっていたら、カウンターの隣に女性が入ってきて圭子さんと言葉をかわしている。通勤か通学かわからないが、いつもこの駅を使うらしく顔なじみのようだ。食事をするというより、毎日のあいさつを交わす駅。
なんだか降籏康男か山田洋次の映画を生で見ているような錯覚を覚えた。
富良野から滝川までは根室本線。国鉄末期に石勝線が開通するまで、札幌と帯広・釧路をつないだ大幹線だ。ちなみにこの区間には富良野で取れた野菜を運ぶ貨物列車も走っている。収穫の季節には貨物列車の先頭に、富良野カレーのヘッドマークでもつけて走らせたらきっと楽しいだろうに。
車内には先ほどの女性が乗っていた、話を伺うと、富良野の学校に通っているという。資格を取って、地元で働きたいのだとか。日本を支えた炭鉱の町で、地元を支えようという世代が育っている。
宗谷本線初日以来、そんな若者に会う機会が多くなった。鉄道は彼ら・彼女らを支える役割を負っていると実感する。地元を支える世代を育てる役割は、一鉄道会社だけではなく、行政や国も担うべきなのではないかと思う。
富良野~根室は廃線の候補に挙がっているが、まだ役目は終わっていない、はずだ。
列車は芦別・赤平などかつての大炭鉱都市に停車してゆく。そんな中の一つで彼女も下車していった。
【8日目・その1乗車区間】
名寄~旭川~富良野~滝川(宗谷本線・富良野線・根室本線)
文・写真/川井聡
昭和34年、大阪府生まれ。鉄道カメラマン。鉄道はただ「撮る」ものではなく「乗って撮る」ものであると、人との出会いや旅をテーマにした作品を発表している。著書に『汽車旅』シリーズ(昭文社など)ほか多数。