素直に母親の言うことを聞けない自分が嫌で仕方なかった
父親とは良好な関係を続けていたものの、中学、高校と上がるにつれて母親との関係はこじれていったと言います。
「何か大きな出来事があったわけじゃないんですけど、中学の終わりくらいから高校始めくらいの時期に反抗期があって、よくぶつかるようになりました。それは高校2年くらいには落ち着いたと思うんですが、そこからなぜか母親とぶつかることを避けるようになってしまったんです。母親の怒り方は、その怒る焦点から私自身の否定にまで及ぶんですよ。『こんなことができないなら、何をやってもできない』、『あんたの頭は何も響かない。言うだけ無駄』とかの言葉を浴びせられたことがありますね。その時ぐらいから、めちゃくちゃに言い返したいという思いと、親にそんなことは言ってはいけないという思いの2つが芽生えるようになってしまって。もう考えること自体がしんどくなってしまって、結果避けるようになったのかもしれません……」
ぶつかることを避けていたこともあり、表面上は母親との関係も良好。実際に、一人暮らしをしたことで、関係は一度は軟化していったとか。
「私は短大に進学して、その後就職で家を出ました。私の家は高校を卒業してから友人の家に泊まりに行くことが解禁されていたから、短大時代は当時付き合っていた人の家でほぼ過ごしていました。久しぶりに家に帰っても、そんな娘を不機嫌な態度で無視することも多くて、会話はほとんどありませんでしたね。
でも、就職で都内に出てからは、多くて年に2~3度の帰省になり、会った時は東京での暮らしなどを話すだけで間がもつんです。そこまで奥の部分にお互いに触れなくていいというか。気を遣うこともなくなって、別々に暮らし始めてからが一番関係がうまくいっていたんじゃないですかね」
志保さんは東京で出会った男性と27歳の時に結婚。相手が東京出身の男性だったこともあり、義家族との関係は密に、実家との関係はさらに薄くなっていったそう。
「相手は東京でできた友人の紹介で知り合った人で、2年の付き合いの中で1年の同棲を経て、入籍しました。付き合っている最中にも相手の家族と一緒に食事をする機会もあって、程よい距離感を保ってくれるような人たちだったから、私は実際に両親といるよりも居心地が良かった。それに実家には『夫の家族と過ごすことになった』と言えば、大型連休で帰省しなくてもよくなったし。
でも、結婚してから、母親は私に前より執着するようになったというか、よく連絡が来るようになったんですよ……。おそらく心配してだとは思うんですが。母親から色々結婚のアドバイスみたいなものをされる度に、イライラしてしまい、きつく言い返すようになってしまいました。そして、その怒りが落ち着いた時にあんなことを言うんじゃなかったと後悔してしまう……。その繰り返しがただ辛くて……」
結婚生活は突如破綻。気遣う母親に言い放ってしまった言葉から関係は修復不可能なものに……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。