母親を看取ることはできた。一人娘の重圧からやっと解放された
実家に戻った時、母親は歓迎してくれたと言います。老いてはいたものの普通に見えた母親。しかし、会話の中に少し違和感はあったと当時を振り返ります。
「母親は昔のことばかりを私に話し続けました。最近のことを聞いても話したがらないというか。とにかくずっと話し続けていた。
何もないことを願いながら、私は仕事をやめて時間があるからという理由で、母親がいつもかかっている内科に連れて行き検査を受けてもらいました。その結果、正式に診断が下って……。医師からは話し相手になること、軽い外出をすることを言われたので、その場で私は実家に戻ることを決めたんです」
その後、友人と実家近くで飲食店を始めた加奈子さんですが、デイサービスなどを利用して離れる時間を作るものの、心は徐々に疲弊……、まったく優しくできなかったと言います。そんな中、母親が亡くなってしまいます。
「母親が亡くなったのは、ガン。忙しさや気持ちの余裕がなくて、ちゃんと寄り添ってあげていなかったから、気づいてあげられなかった。母親の病気がわかる前なんて、ちゃんと会話さえ聞いてあげられなくなっていました。きっと話したことなんて覚えていない……。そう思っていたんです。
亡くなった直後は後悔ばかりでした。それにリアルに一人ぼっちになってしまったと、想像以上の孤独感がありました。友人はいましたが、結婚もしていなかったので、身内がいなくなる孤独は想像以上で……。しばらくは何も手につかない期間がありました」
しかし今、加奈子さんは笑顔で母親のことを話しています。
「孤独を味わった後にやってきたのは、独りよがりかもしれないけど看取れたという達成感でしょうか。一人娘として、いくら相容れない関係でもちゃんとしないといけないとどこかで重圧を感じていたんだと思います。矛盾しているかもしれませんが、その思いから解放されて、心ではちゃんと母親だと思っていたんだなって認めることができました。今一番穏やかな人生を歩めている気がします」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。