妊娠できない自分を卑屈と表現した義母
文乃さんはホルモン治療を5年から2年半に短縮し、妊活をスタート。しかし、抗がん剤前に採取していた卵子から子どもを授かることはできませんでした。
「夫はこれからも頑張っていこうと励ましてくれましたけど、想像以上に落ち込みましたね。その後も高い治療費を払いながらの不妊治療を続けていたんですが、いい結果が出ることはありませんでした」
不妊治療の事実は義実家には伝えていなかったそう。それを言わないでいいと言ったのも夫だったとか。そのことが文乃さんとの仲に不信感を作っていくことになります。
「夫は『2人で頑張ること』と、真実を家族に伝えませんでした。その姿が、面倒なことになるのを避けているように感じてしまったんですよね。そして、義母は知らないものだから、孫の催促もずっと続きます。私は催促がどうしても辛くなって、夫のご両親に勝手に話したんですが、そこから夫は私に何も言ってこなくなりました。面倒くさそうにため息を吐かれた時から、私たちは夫婦じゃなくなったのかもしれません」
離婚を決意したのは文乃さんから。離婚までの2年間に夫婦生活は一切なくなり、妊活もしていなかったそう。
「あのまま一緒にいることに意味を感じられなくなりました。それは私だけでなく、夫もそうだったと思います。
離婚が決まったことはお互いが自分の家族に伝えたので、私から義実家には伝えていません。離婚届けを提出してしばらく経った後、義母から電話がかかってきました。終始気遣いのある言葉をもらいましたが、最後に『子どもが産めないことに卑屈にならないでね』と言われました。私は相手の家族の中では卑屈な女だと思われていたんですよね……。その気兼ねなしに発した言葉が、相手の本心なんだと思い、離婚を選択したことへの後悔はまったくなくなりました。
今は一回り上の男性と付き合っています。いつか、夫婦だけでも家族なんだと、証明したいと思っています」
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。