取材・文/ふじのあやこ
家族の中には、血縁のない『義(理の)家族』という間柄がある。結婚相手の親族関係を指すことが一般的だが、離婚件数が増える現在では、親の再婚相手や、再婚相手の連れ子など、家族の関係は複雑化している。血のつながりがないからこそ生じる問題、そして新たに生まれるものも存在する。義家族との関係を実際に持つようになった当事者にインタビューして、その時に感じた率直な思いを語ってもらう。
小学生の頃に母親と死別。大人になった自分が患った病も母親と同じものだった
今回お話を伺った、文乃さん(仮名・39歳)は、33歳の時に結婚し、昨年(2019年)離婚しました。現在は大阪市内で働きながら、実家で父親と2人暮らしをしています。文乃さんの離婚理由は、子どもに恵まれなかったから。そして、その原因にはある病気を患ったことが関係していると言います。
「私は31歳の時に乳がんに罹患しました。手術となったのが31歳の時で、違和感に気づいたのはまだ20代でした。その後は抗がん剤、放射線治療、そして投薬を行いました。抗がん剤の前に卵子凍結を行ったのですが、それもすべてダメで、今も排卵はあるけど通常の人よりも弱く、妊娠できる可能性がとても少なくて。病気のことは受け入れてくれても、子どもができなかったことはお互い思うところがあったんだと思います」
文乃さんは大阪府出身で、現在は父親と4歳上の姉がいる3人家族。小学生の時に母親を病気で亡くしており、その病名は文乃さんが患ったのと同じく、乳がんでした。
「覚えているのは何度も母親が入院している病院へ行っていたこと。そして、二度と会えなくなったこと。家で一緒に過ごした姿は本当にぼんやりとした記憶でしか残っていなくて……。それよりも鮮明に覚えているのは、私のために気丈に振る舞い続けていた父親の姿でした」
文乃さんが覚えている家族団らんとはどのようなものだったのでしょうか。
「元々父親は亭主関白という感じはまったくなくて、家事も手伝ってくれるタイプで、得意でした。でも、父親が作る料理は男飯とでもいうのか、とにかく味が濃いんですよ……。その父親のご飯を食べる回数を減らそうと、私と姉でご飯を作るように徐々になっていったのが、私が中学生の時ぐらいだったかな。お互いがご飯の文句を言い合いながら、それでも楽しく食卓を囲む。それが家族団らんの図ですかね。覚えている食卓はいつも3人。母親のことをぼんやりとしか思い出せなくなってくる、それがたまにとても寂しく感じることがありますね」
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